妻の「譲渡」を約束するも反故に

谷崎潤一郎は1915年、石川千代という女性と結婚する。しかし、従順で控えめな妻にすぐに飽きてしまう。代わって彼の目を惹き始めたのは、しばしば家を訪れていた千代の妹のせい子だった。

やがて、夫と妹の距離が不穏に近づいていることに気がつき、千代は夫の親友、文人の佐藤春夫に相談を持ちかけた。心の隙間に入り込むようにして千代と佐藤の交流は深まり、二人の仲は自然と親密となっていった。

佐藤春夫
佐藤春夫(画像=「昭和史 第4巻」/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons)

それを察した谷崎は、自分がせい子と結婚して、佐藤が千代と結婚すれば万事解決という案を思いついて、佐藤に打診した。ところが、友人がすっかりその気になっていたにもかかわらず、谷崎はなぜかその話を白紙に戻す。佐藤が当然怒って、絶交を言い渡した。

谷崎&せい子並びに佐藤&千代のそれぞれの関係がどこまで進んでいたのか定かではないが、その噂は世の中を唖然とさせたことだけは間違いない。

性描写が過激すぎて新聞連載が打ち切りに

谷崎の代表作の一つとされている『痴人の愛』は、美少女ナオミが真面目な会社員を翻弄する物語だが、ナオミのモデルはまさにせい子だと言われている。奔放なヒロイン像は注目を集めるとともに、『痴人の愛』は性描写が過激すぎるという批判を浴びて、『大阪朝日新聞』での連載は途中で打ち切りとなった。

連載が始まったのは1924年、日本はナオミのような大胆な女性を受け入れる準備はまだできていなかったのかもしれない。幸いにして、中断された連載は別の雑誌で再開されたが、検閲が盛んに行われていた時代に、よくぞそういったモラルハザード的な内容が許されたものだ。

「小田原事件」はスキャンダラスな出来事として歴史に残った。しかし、それは谷崎先生の「人生物語」においてまだまだ始まりにすぎなかったとも言える。

一旦元の鞘に収まったものの、千代との結婚は結局長く続かなかった。1930年に谷崎は千代と離婚して、彼女はやっと佐藤春夫とめでたくゴールイン。そのとき、谷崎の離婚が新聞でも報道され、世間がまたざわついた。ちなみに、妻の千代との関係は『蓼喰う虫』という名作にて色濃く映し出されている。