※本稿は、イザベラ・ディオニシオ『不倫が好きな文豪たち 未読でも既読でも楽しめる日本文学入門』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
戦後日本で大流行した「姦通小説」
1950年代後半に流布していた雑誌を何気なくめくってみると、「姦通」という文字がやたらに目につき、その話題がいかにホットだったかは、一目瞭然である。文芸評論家の十返肇は1957年11月号の『婦人公論』に、「なぜ姦通小説が流行するのか」という文章を寄せているが、そのなかには不道徳な恋をテーマとした小説のブームについて面白い指摘がされている。
日本の近代文学が「姦通」を描くようになったのは、いうまでもなく戦後のことである。戦前はきびしく禁止されていたから、これは小説の題材としては日本の作家にとっては、まだ新鮮なものといえるであろう。同時に、姦通という関係自体が、日本の女性にとって関心を惹くようになったのも、きわめて最近のことである。戦後、姦通罪が廃止されるまでは、多くの女性にとって、姦通などということは、恐らくほとんど念頭に浮ばなかったのではあるまいか。
「姦通」と「不倫」の微妙な違い
戦後の日本にとって「姦通」は新鮮なテーマだったという。古代から戦前にかけては不義の恋を描いたものが結構あるのに、だ。しかし、戦後に書かれた小説は、確かに何か違うものがあるように感じる。
そこで、引用文に頻出する「姦通」という単語にまず注目したい。婚外恋愛という意味では、「姦通」は「不倫」と同じだが、その中身は微妙に違うからだ。
「不倫」は婚外恋愛をすべて含むのに対して、「姦通」は、既婚の女性が夫以外の男性と関係を持ったときにかつて使われていた単語だ。歴史的に見て、道義に背いた恋というタブーは男女両性に対して均等に働くものではなく、主に女子を拘束する習慣として通用してきた。「女」の字が三つも出てくるだけに、そのメカニズムは「姦通」という語句にありありと表れている。

