女性にとって「姦通」は命がけだった

さらに「姦通」というのは、「姦通罪」と深い関わりを持っている単語だということも忘れてはならぬ。

姦通罪の歴史もまた古く、鎌倉時代にまでさかのぼるけれど、近世封建制度が確立されて以来、その規定はさらに強化された。江戸時代の武家社会において、妻が姦通することは夫への許しがたい裏切りだと判断され、夫が幕府に訴えると妻と不倫相手に厳しい罰が下されていたばかりか、夫が妻もしくは不倫相手を殺害した場合、罪に問われないこともあったらしい。明治時代に入ってからは、刑法が制定され、処罰は禁錮や懲役に変更されたが、姦通罪は依然として告訴の対象であり続けたのだ。

それだから、十返肇が書いている通り、姦通なんぞ女性にとって文字通り命がけの恋になる可能性もあり、当然ながらそう簡単には「念頭に浮ばなかった」のも頷ける。確かに、いくらときめいてもホイホイついていくことに二の足を踏む。

ちなみに、相手が人妻ではない限り、夫は愛人を作ろうが、よそでハメを外そうが、いたって自由だったので、まさに二重規範(ダブルスタンダード)の典型例なんだよなぁと、腹が立って仕方がない。

というわけで、男の不倫は長らくビジネス・アズ・ユージュアル、通常運転だったのに対して、女性の「姦通」は姦通罪が廃止されてはじめて現実味を帯びてきたのだ。新たな恋に踏み切れずに思い悩むヒロインと屁理屈をこねる夫を描いた、大岡昇平の『武蔵野夫人』がちょうどその時期に流行ったのは、偶然ではなさそうだ。

布団から差し伸べられた手を握る
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カトリック圏では女性は「人を惑わす悪魔」とみなされてきた

まったくの余談だが、恋に奔放だと思われがちな我が祖国イタリアでも、姦通罪はかつて存在していたし、それは日本に比べてより長く適用されていた歴史がある。

イタリアにおけるそうした姦通罪へのしつこいこだわりはおそらくカトリックとも関係していると思われ、モーセの十戒のなかでも、そのコンセプトが特別に強調されている。第六戒「姦淫してはならない」(プロテスタントでは第七戒)、第九戒「隣人の妻を欲してはならない」(プロテスタントでは十戒)とあって、不倫問題に関して旧約聖書の神様はだいぶスペシフィックな指示を出されていたようだ。

その影響は今もなお脈々と感じられるが、男から勝手に欲しがられているにしろ、自ら蠱惑的な態度をとってくるにしろ、ローマ・カトリック圏のなかでは女性がたびたび人を惑わす悪魔としてみなされてきたことは明らかだ。

そのせいもあってか、イタリアでは妻だけが罰せられる姦通罪がやっと廃止されたのは、1968年。日本より、20年以上もあとだ。また、いわゆる「名誉殺人」――つまり、浮気した妻もしくはその相手を殺して名誉を守るというやつ――は、1981年まで減刑の対象だった。私は1980年に生まれているけれど、たった1年だけでも、その恐ろしい法律とともに生きたと考えただけで、背筋が凍る。