「何からお話ししたらわかるかな」

籔内先生との会話は、最初からうまくかみ合わなかった。

会う前に想像していたのは、せんとくんのイメージそのものの、気さくで愛嬌のある男性。しかし実際の籔内先生には、観音像のように場を支配する静けさがあった。

5歳のころからアーティストになると決めていた。二浪して東京藝術大学に進む。第一志望は油画専攻だったが強いこだわりはなく、倍率の低かった彫刻科に入学した。

「大学院在学中、うちの大学に仏像修復と古典技法を研究する『保存修復技術研究室』があることを知りました。ここなら手を動かしながらなんとか食べていけるんじゃないかと、深く考えずに飛び込みました」

古い仏像を解体し、研究し、修復した経験が、日本の仏教文化への理解を深め、その後の制作の土台となった。

「私、芸術家がどうやって売れるようになるのか、よく知らないんです。芸人さんのM-1ドリームみたいに、賞を取ったことをきっかけにバーンと売れる、という感じですか?」

右手でロケットの打ち上げを再現するようにして合いの手を入れる。すると、それまで私を見つめていた先生の目が、ふと脇に逸れた。

「うーんと、困ったな……。何からお話ししたらわかるかな」

一瞬で気まずい空気が漂い始める。場を温めようとした言葉が、かえって会話のズレを明確にしてしまった。頭上に伸ばしたままだった右手を膝の上に落とし、次の言葉を必死に探す。先に言葉を紡いだのは、先生だった。

「お客さんがお客さんを連れてくるようになるんです。バブルはアーティストにとってはいい時代でした。特に、この『童子シリーズ』はよく売れました」

童子シリーズ
籔内さん提供
童子シリーズ
せんとくんの兄
籔内さん提供
鹿坊は、現在はせんとくんの兄と呼ばれ親しまれている

せんとくんの原型は「鹿茸童子」

先生は古い書棚から一冊の本を抜き出し、ページを開いて見せた。これまでの作品を集めた、フルカラーの画集だ。

まるで子どものいたずらの瞬間を切り取ったような作品群。丸みのある体はどう見ても子どもなのに、目だけは世慣れた大人のように見える。それらの風貌はどこか、せんとくんに通じるものがあった。

この童子シリーズが、せんとくんのアイデアの根幹にあった。

「せんとくんのデザインの由来は、頭に鹿の角を生やした『鹿茸童子』です。日本にはかつて、『童子』と呼ばれる身分がありました。大人になっても元結いやまげを結わず、力仕事や汚れ仕事に従事する者たちです」

童子シリーズ 竹
籔内さん提供
展覧会に出品された童子シリーズ作品

2007年1月、懇意にしていた広告代理店から、平城遷都1300年祭のマスコットキャラクターに応募しないかと声がかかった。各社がデザイナーや美術家に依頼してマスコット案を作成し、最終的にはコンペで決めるのだという。

有名な漫画家も参加することが噂されており、広告会社からは「落選するかもしれないが、それでもいいか」と念を押されたが、奈良のために何かしたいという気持ちから応募を決めた。

「できれば一目で奈良とわかるものにしたい。そう考えたとき、この『鹿茸童子』がすぐに思い浮かんだのです。これに人々に愛していただけるようアレンジを加え、広告会社へ作品を提出。その後選考を経て、採用内定のお返事をいただきました」

小鹿坊
籔内さん提供
せんとくんのモデルとなった鹿坊シリーズ

のちに『せんとくん』と名付けられた童子が公開されたのは、翌年の2月。するとまもなくキャラクターに対する批判が、ファックスやインターネットを通じて押し寄せた。