政治家人生を決定づけた言葉

これほど割に合わず、常に失職の恐怖と隣り合わせの仕事。それでも私が33年近く、この世界に身を置き続けたのはなぜか。

理由はきわめてシンプルです。

この仕事には、他の何物にも代えがたい「圧倒的なやりがい」があるからです。

子どもの頃から「表現すること」が大好きだった私にとって、自らが紡いだ政策が「法律」という形になり、国家のシステムとなって社会を動かしていくプロセスは、震えるほどの充実感をもたらしてくれました。

そして何より、私が熱意と気力を維持し続けられたのは、有権者から直接かけられる「ありがとう」という一言でした。

私の政治家人生を決定づけた、忘れられない原体験があります。

1996年、自社さ連立政権下で、私が若手ながら「薬害エイズ事件」のプロジェクトチームを担当したときのことです。

当時、国(厚生省〈現・厚生労働省〉)は頑なに自らの加害責任を認めず、被害者の方々は絶望の淵にいました。私は時の厚生大臣・かん直人氏をサポートして、役所の隠蔽体質をこじ開け、国の謝罪と歴史的な和解を勝ち取りました。

枝野幸男『再出発 落選という現実を力に変える』(青春出版社)
枝野幸男『再出発 落選という現実を力に変える』(青春出版社)

その瞬間、車椅子に乗った被害者やそのご家族の方々が、涙を流しながら私の手を握り、

「枝野さん、ありがとう。生きていてよかった」

と声を詰まらせたのです。

あの瞬間に浴びた「ありがとう」の重みが、その後の私の政治家としての背骨を作りました。

必死に働き、正しい結果を出せば、目の前の苦しんでいる人を現実に救うことができる。政治家とは、これほどまでにやりがいのある仕事なのかと、議員1年生の私は魂を揺さぶられたのです。

地獄のような日々の苦労が報われる

2011年の東日本大震災のときもそうでした。未曾有の国難の中で、私の対応には至らない点もあったかと思いますが、自分としては全力で取り組み、ベストを尽くしました。

震災から何年も経った今でも、東北の被災地を訪れると、見ず知らずの方から「あのとき、寝ないでがんばってくれて本当にありがとう」と、声をかけていただくことがあります。その一言だけで、あの地獄のような日々の苦労は報われます。

2017年に立憲民主党を立ち上げたときも同様です。街頭へ出るとたくさんの人たちが声をかけてくれました。その際も圧倒的に多かったのが「ありがとう」。

立憲民主党を立ち上げてくれて「ありがとう」、選択肢を作ってくれて「ありがとう」。そんな想像もしなかった感謝の言葉をいただけたからこそ、その後も、困難の多い新党のかじ取りをがんばれたのだと思います。

検索時にプレジデントオンラインに関連する記事が表示されます

【関連記事】
「日本円の紙くず化」へのカウントダウンが始まった…高市首相が狙う「借金1342兆円を帳消しにする」禁断の処方箋【2026年5月BEST】
地方衰退の一番の原因は「人口減少」ではない…山口の超富裕層が「住民税43億円」をまるっと抱えて移住した理由
小泉進次郎氏でも、高市早苗氏でもない…いま自民党内で急浮上している「次の首相」有力候補の意外な名前【2025年9月BEST】
「スキマ時間にメール返信する人」は仕事がデキない…キーエンスの営業部隊が組織的に実践する"時間ハック"
大地震でまず確保すべきは水でも食料でもない…被災者が「これだけは担いで逃げて」という最も重要なモノ2選【2025年7月BEST】