日本人は本音をあまり口にせず、外国人からは冷たいと見られることもある。それは本当なのか。2018年から日本に住む中国人YouTuberのむいむい(梅梅)さんは「困っている人を見てもすぐに駆け寄らないのは、相手に恥ずかしい思いをさせないためだ。まず様子を見守り、必要なときに手を差し伸べる。そんな一歩引いた気遣いこそ、日本人ならではの優しさだと思う」という――。(第2回)

※本稿は、とある中国人のむいむい『とある中国人のむいむいの「私たちはどうしても日本にムキになる」』(主婦と生活社)の一部を再編集したものです。

大きな駅を行き交う人々
写真=iStock.com/tetsuomorita
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日本人には「一歩引いた優しさ」がある

日本の美徳といえば、優しさを思い浮かべる人は多いと思います。優しさは世界共通の概念でもありますが、日本でいうところの優しさ、つまり“気遣い”や“思いやり”は海外のそれらとは本質的に別物だと感じています。

日本人(特に東京の人)は、時にクールなところがあると言われたりしますよね。例えば駅の階段で転んだ人がいても、みんなで駆け寄るようなことはしません。

でも数秒してその転んだ人が起き上がれなかったら、そのうちの誰かが近寄って静かに手を差しのべます。騒いだら見せ物になってしまうし、恥ずかしい思いをさせるかもしれないから、気づいた上で様子をうかがっているんです。

その根底には、「相手の気持ちを第一に考えよう」という姿勢があって、やりすぎると相手の負担になるかもしれないという気遣いがある。

だからこそ、その場の状況を瞬時に読み取って行動したり、相手の気持ちを察して寄り添ったりする「空気を読む力」が重視されるわけで、やりすぎない、一歩引いた優しさというのが、日本人にとっての美徳なんだと思います。

中国なら空気を読まず、大騒ぎ

そういう“一歩引いた優しさ”が、海外の人から見るとクールに見えてしまう場合があるのだと思います。

中国だったら空気を読むなんてことはしませんから、その場にいる全員が転んだ人のところに集まって「うわぁ〜‼︎ 大丈夫かい⁉︎」って大騒ぎになります(笑)。もし年老いたおじいちゃんが転んだら、それこそ大騒ぎになるし、おじいちゃんもおじいちゃんで、自分で「痛いヨォ‼︎」って激しくアピールします(笑)。

中国ほどではないと思いますが、日本でもまだ田舎のほうなら同じように心配してくれることはあると思います。実は上海のような都会に行くと、若い人はそういうのを恥ずかしがる傾向があるので、日本の感覚に近くなっている部分もありますね。

こうした中国の“わかりやすい”優しさと比べると、“あえてしない”ことが、日本人にとっての一つの美徳なのだと思います。

私は日本語と向き合ううちに、“多くを語らない”ことを好む言語でもあると感じました。

「皆まで言うな」「言わぬが花」ということわざがあるように、言わない方が奥ゆかしくて、価値がある、粋だという考え方です。全部を言ってしまったら面白くないし、野暮なんですね。

だから、日本人の潜在意識の中には「遠回しな言い方、行動をするけど、わかるよね?」っていう暗黙の了解のようなものがあります。