現代の日本にも影響を与えた画期的な金融政策
信長は、金融についても歴史に残るような改革を行っている。江戸時代はおろか、現代の日本にも影響を与えるほどの画期的な金融政策を施しているのだ。
戦国時代の日本は、深刻なデフレに陥っていた。中国の銅銭が急に入らなくなり、せっかく成立していた貨幣経済が停滞してしまったのだ。
信長は、このデフレに対して、非常に画期的で効果的な政策を行った。その政策とは簡単に言えば、金銀を貨幣として流通させたということである。
実は金銀が貨幣として、世界的に認識されるようになったのは、近代になってからだ。以前は、必ずしも世界中で貨幣として使用されていたわけではない。たとえば韓国などでは、近代に入っても物々交換や銅銭での商取引を行っていた。日清戦争のころでも金銀の貨幣使用がされておらず、日本軍は現地での物資調達に苦労した。
戦国の日本でも、まだ金銀は貨幣として流通していなかった。当時もすでに金銀は貴重品としての扱いは受けていたが、貨幣としての使用はされていなかったのだ。
一部で貨幣的な使用はされていたが、制度的には金銀は貨幣ではなく、必然的に貨幣としての流通も少なかった。それを信長は、金や銀を高額の貨幣として設定した。
日本に初めて体系的な通貨制度を導入
永禄12(1569)年3月16日、信長は京都、大坂、奈良の近畿地区で、通貨に関して次のような発令をした。
・今後、米を通貨として使ってはならない
・糸、薬10斤以上、箪笥10棹以上、茶碗100個以上の高額取引には、金銀を使うこと。中国からの輸入品などの取引にも金銀を使う
・金銀がない場合は、良質の銅銭を使う
・金10両に対して、銅銭は15貫目で交換する
・銀10両に対して、銅銭は2貫目で交換する
これは日本の中央政権として、初めて金銀を通貨として使用することを決めた法令だった。また金と銀、銅銭の交換価値が明確に定めてあり、これも史上初の試みだ。この法令により、日本に初めて体系的な通貨制度ができたとも言える。
信長の「金銀通貨使用令」が、日本の通貨制度に大きな影響をもたらしたことは間違いない。日本の金銀が、通貨として使われるようになったのは、16世紀の末ごろからだ。
経済学者の浦長瀬隆氏の研究によると、戦国時代には金銀の産出が進められたが、当初は贈答用や貴族、武家間の取引に限られていた。銀が貨幣として使用され始めたのは、1580年代の京都であり、その後、徐々に畿内の周辺地域に広がっていった、ということである(『中近世日本貨幣流通史』勁草書房)。
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