「八風」にも動じない心で
自分は周囲に非難され、否定されてばかりいる――。
もしあなたがそう思い込んでいても、あなたのよさを認めてくれている人もきっといるはずです。逆に、いつも周囲から慕われ、尊敬され、ほめことばばかり浴びている人も、どこで非難されているかわかりません。
ほめる人もいれば、誹る人もいる。人が浴びる評価というのはそういうものです。ブッダ自身がそうであったろうし、孔子やイエス・キリストもそうだったでしょう。
「八風吹けども動ぜず」という禅語があります。八風とは人の心を惑わし、あおりたてる八つのもの――利(意に叶うこと)、衰(意に反すること)、毀(陰で誹ること)、誉(陰でほめること)、称(目の前でほめること)、譏(目の前で誹ること)、苦(身心を悩ますこと)、楽(身心を喜ばすこと)で、私たちは常にこうした相反する風に吹かれて生きていくのです。
風が変わるたびにグラグラ揺れているようでは人間的成長は望めません。どんな風にも動じない天辺の月のように、自分の道を選んだら、つよい信念と不動の心を持って生きていくことです。
客観的に見る眼を持たない人間は愚か者
真の愚か者とは「自分は賢者だ」「自分は正しい」と思い込んでいる者のこと。愚か者とされる人間でも、「自分は愚かだ」「私は何も知らない」という自覚を持つ者は、賢者とよんでいい――。つまりブッダは“自分はどれほどの人間か”と客観的に見る眼を持たない人間は愚か者だと言っているのです。
自分を賢者と思う人間には驕りや慢心があり、他人から学ぼうとか、正しい教えに学ぼうという謙虚な姿勢が欠けています。そうなるともはや成長は望めないでしょう。また、そうした人間ほど自分を偉く見せたがるのが常で、ブッダも、
と辛辣に指摘しています。一方「自分は愚かで未熟だ」と自覚する人は、学ぼうという姿勢があり、正しい教えにあえば吸収していきます。だから年を取っても成長でき、悟りへ近づくこともできるのです。
自己を見つめつつ謙虚に学びつづける――賢者の生き方を望むなら、この姿勢を忘れないことです。

