柴田勝家が“飛び降り自殺”するわけがない
そして第33回「北庄城の別れ」(8月30日)放送。北ノ庄城(福井市)の天守最上階に追い詰められた柴田勝家は、藤堂高虎(佳久創)ら追手に「よお見ておけ、これが戦じゃ」と告げると、妻の市と手をつないで身投げした。
しかし、柴田勝家がどのように死んだか、史料には明記されている。秀吉の書状にも『柴田退治記』などの軍記にもフロイスの書簡にも、以下の描写は共通している。勝家は妻の市らを刺殺したうえで、自分の死にざまを目に焼きつけるように告げると、腹を十文字に切った。それを見た家臣ら80人も、追って腹を切った――。
勝家が市を刺殺後に切腹して果てたのは、動かしがたい史実と思われる。それなのに「豊臣兄弟!」では、おそらくより印象的な場面を追求した結果だろう、勝家夫妻が身投げするという奇抜な場面を創造した。これが単に史実に反するだけなら、まだ救いがあるが、戦国時代の常識を大きく逸脱しているから問題がある。
当時の武士にとっての名誉ある自死は切腹で、ほかに選択肢はなかった。自分の腹を切って命を絶つ行為は、最高度の勇気を示すもので、武士としての誇りとともに家の名誉をたもつためのものだった。また、古来魂が宿る場所とされた腹をみずから切り裂く行為は、自身の潔白や高潔さを示すものでもあった。
非常識な描写の連続
戦国の世に身投げがなかったわけではない。だが、それは刀を使えない女性や子供、負傷した将兵が、敵に追い詰められた際、捕縛されないように選んだ道だった。勝家のように名誉を重んじる古武士のような武将が身投げをすることなどありえない。勝家は「これが戦じゃ」といったが、身投げは断じて彼らにとっての「戦」ではない。仮に勝家がこの場面を見たら、あまりにひどい名誉毀損に憤死してしまったのではないだろうか。
また、勝家は市に「最後までお守りいたします」と告げ、追い詰められるまで連れ回したが、戦国時代、女性や子供は追手が迫る前に男が刺し殺すのが通例だった。一人で死ぬのは困難であり、敵に捕らえられてひどい仕打ちを受けるのを避ける目的もあった。
つまり勝家の最期は、史実が歪曲されただけでなく、戦国時代にはありえない描写の山だった。印象的な場面だったから、なおさらたちが悪い。映像が視聴者の脳裏に強く深く刻まれ、長期記憶になりやすい。その分だけ歴史への誤解も強く深く浸透する。
時代考証の担当として専門家が2人もついていながら、なぜここまで非常識な描写が許されるのか。理解に苦しむが、影響力が大きいだけに、NHKは史実を尊重する方法や、フィクションの創作方法について、ゼロベースで検討しなおすべきではないだろうか。
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