脚本家は何をしているのか
歴史をモチーフにしたドラマの制作に、フィクションの挿入は避けられない。ある人物の行動を描くにも、歴史的状況を描くにも、史料に記されていることは全体のごく一部であり、むしろ大半をフィクションで埋めなければドラマにならない。フィクションだという理由で批判されるいわれはない。史料等で確認できる内容を軸に、いかにその人物らしく、時代状況に照らしていかに自然にフィクションを創り上げるか。そこに脚本家や制作サイドの力量が問われる。
だが、史料等に明記され、そのほかの状況からも史実と認定できることを、史実と正反対に描写するなら、新史料の発見や新解釈の提示など、具体的な根拠が求められる。それなくして、単にドラマを盛り上げるために史実と正反対に描くのはいただけない。歴史への誤解が助長され、今回のように、描かれた人物とゆかりがある人たちに、遺憾の意を強いることにもなってしまう。
とりわけ中川清秀は、味方のために必死に戦って討死したのに、敵に寝返って味方に損失をあたえたように描かれ、名誉が著しく毀損された。440年前の出来事だから実感が湧きにくいかもしれない。
だが、ウクライナ戦争で祖国を防衛中に戦死した将校のことを、ロシアに寝返って祖国に損失を与えた挙げ句、ロシアからウクライナに投降した将校に殺されたと描いたりすれば、ウクライナ国民は黙っていまい。そういう描き方だったのである。
秀吉を裏切るはずがない
中川清秀が忠義の武将だったというつもりはない。賤ヶ岳合戦の4年半ほど前、荒木村重が信長に反旗をひるがえして有岡城(兵庫県伊丹市)に籠城した際、村重の背中を押したのは清秀だったとされる(『立入左京亮入道隆佐記』)。それなのに、籠城から1週間もすると織田方に寝返り(『信長公記』など)、村重に大きなダメージをあたえた。
この逸話をもとに、「豊臣兄弟!」は清秀を裏切り者に仕立てたのかもしれない。だが、賤ヶ岳合戦においては、最後まで奮戦した様子を記した史料はあっても、裏切ったと書かれた史料は存在しない。それに裏切る理由が存在しない。
村重は明智光秀討伐における最大の功労者の一人である。近年、発見された秀吉の書状によれば、秀吉は光秀に勝利した山崎合戦に間に合わなかった(中京大学の馬部隆弘教授による研究・調査)。実際に戦ったのは、中川清秀のほか池田恒興、高山右近という、摂津を治める3人の武将で、彼らが光秀を敗走させたという。
同じ内容は、イエズス会宣教師のルイス・フロイスも『日本史』に記しており、研究者たちが採用していなかった宣教師の記録が、期せずして秀吉自身の書状により裏づけられた格好だ。ただでさえ清秀はこの合戦における功労者だが、秀吉が間に合っていなかったなら、清秀はまぎれもない秀吉の恩人であり、秀吉にくみしているかぎり出世が望めただろう。そういう人物が秀吉を裏切るなど、到底考えられない。

