脚本家は何をしているのか

歴史をモチーフにしたドラマの制作に、フィクションの挿入は避けられない。ある人物の行動を描くにも、歴史的状況を描くにも、史料に記されていることは全体のごく一部であり、むしろ大半をフィクションで埋めなければドラマにならない。フィクションだという理由で批判されるいわれはない。史料等で確認できる内容を軸に、いかにその人物らしく、時代状況に照らしていかに自然にフィクションを創り上げるか。そこに脚本家や制作サイドの力量が問われる。

だが、史料等に明記され、そのほかの状況からも史実と認定できることを、史実と正反対に描写するなら、新史料の発見や新解釈の提示など、具体的な根拠が求められる。それなくして、単にドラマを盛り上げるために史実と正反対に描くのはいただけない。歴史への誤解が助長され、今回のように、描かれた人物とゆかりがある人たちに、遺憾の意を強いることにもなってしまう。

とりわけ中川清秀は、味方のために必死に戦って討死したのに、敵に寝返って味方に損失をあたえたように描かれ、名誉が著しく毀損きそんされた。440年前の出来事だから実感が湧きにくいかもしれない。