世界的にも例を見ない「支配階級の意外な行動」

そして、世界史上でも稀な奇跡が、「支配階級(武士)による自己否定」です。

本来、既得権益というものは血を流してでも死守するのが歴史の常です。しかし日本のエリート階級であった武士たちは、自らその特権を放棄するという決断を下しました。

1869年の「版籍奉還」によって、全国の藩主(大名)は自分の土地と人民の支配権を天皇に返上し、武士は「士族」となり、さらに1871年の「廃藩置県」によって中央集権体制を強化しました。

そして、1876年の「廃刀令」によって、武士の象徴であった帯刀の特権も失われました。

これに反発する佐賀の乱や西南戦争など不平士族の反乱も起こりましたが、近代政府軍にすべて鎮圧されています。

このときの大久保利通や木戸孝允ら近代政府のリーダーたちは「ほぼ全員が元・武士」でした。まさに特権階級のトップに立つ存在である彼らが「武士の権力基盤や属する階級の特権を解体する決議・決定」を行った。つまり、「武士」が自ら「武士の特権」を解体したのです。

1873年(明治6年)に明治政府内で論争となった「征韓論」の浮世絵
1873年(明治6年)に明治政府内で論争となった「征韓論」の浮世絵(写真=鈴木年基画/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

これは、世界的にも極めて特異なことでした。

なぜ彼らは、自ら命の次に大切な特権を手放せたのか?

その大きな原動力となったのが、リーダーから現場の武士に至るまでが共有していた「このままでは欧米の奴隷(植民地)になる」という強烈な危機感と恐怖です。

「藩という小さな国に分かれて喧嘩している場合じゃない」
「一つの強力な『中央集権国家』にならなければ、日本は消滅する」

この「公(日本)」のために「私(特権)」を捨てるという覚悟が武士道の最後の輝きであり、明治維新の核心です。

「和魂洋才」という貪欲なハイブリッド戦略

そして、彼らが導入したのが「大日本帝国憲法」と「帝国議会」です。

これも、「民主主義が素晴らしいから」導入したわけではありません。

もちろん国内政治上の事情もありましたが、欧米列強に、「日本は野蛮国ではない。あなた方と同じ『法と議会』を備えた一流の文明国だ」と認めさせるための、なりふり構わぬパフォーマンスでした。

治外法権などの不平等条約を撤廃させるためには、欧米と同じ「ゲームのルール」を採用するほか道はありませんでした。

彼らは必死で西洋の法律、科学、軍事を勉強し、コピーしました。

アイデンティティは日本人のままで、技術とシステムだけ西洋をインストールする「和魂洋才」という器用で貪欲なハイブリッド戦略が、日本の独立を守り抜いたのです。

この時期、岩倉具視、大久保利通、伊藤博文ら政府のトップが、「岩倉使節団」として国を離れ、2年近くも欧米を視察しています。

生まれたばかりの政府がトップ不在になるなど異例のことです。