番組に問題は多いが有意義ではある
『ラヴ上等』シーズン2は、Netflixの日本週間ランキングで3週連続1位となった。それだけ広く見られている番組なら、現在進行形で非行に走っている少年少女にも届きうる。学校や公的な支援につながっていない人にまで届くことは、娯楽作品、それもヤンキー文化を前面に出した番組だからこそ持ち得る力だろう。
同番組には、自分の過去を語り、他者の過去を聴き、人間関係のなかで自分を見つめ直すという、TCと重なる要素がある。その過程は出演者だけでなく、同じような境遇にいる視聴者にも、自分を縛ってきた価値観に気づく契機を与え得る。
一方で、自己憐憫の罠、被害者の視点の不在、不要な炎上リスクを放置した制作側の責任など、問題も多い。その結果、番組は「犯罪自慢」と歪めて理解され、出演者には人格攻撃を含む多数の誹謗中傷が向けられた。
扱いを誤れば、出演者だけでなく被害者をも傷つけかねない、極めてセンシティブな題材である。
加害者を許せないからこそ
筆者は学習塾を経営して、今年で12年目になる。開塾以来、一貫して不登校の子どもを積極的に受け入れると明言してきた。過去には、ヤンキーと思しき同級生からいじめを受け、不登校や引きこもりになった子どももいた。人生を謳歌する加害者がいる一方、かつての生活を取り戻せない被害者とその家族が苦しみ続けるという構図は、本当に理不尽極まりない。拙著『入試改革はなぜ狂って見えるか』(ちくま新書)にも書いたが、私にも加害者側に対する怒りがある。
しかし、だからこそ、同じ被害を生む加害者を一人でも減らすために何が有効なのかを冷静に検討し、社会として合意をつくっていくべきだ。怒りというエネルギーを誹謗中傷に変えても、解決するどころか事態が悪化するだけではないか。
この問題について、私はせいぜい、つまさきを踏み入れているにすぎない。だから、炎上がもう少し落ち着いた後には、この問題と日々闘っている専門家や現場の方々にも、『ラヴ上等』が何を捉え、何を見落としたのかを検討していただければと思う。
「犯罪自慢をしている番組なのか」というところで議論を終わらせるのではなく、加害に至った人間が何を背負い、どうすれば同じ加害を繰り返さずに済むのかまで考えることで初めて、この番組をめぐる炎上を、次の被害者を生まないための教育や支援の議論へと変えられるはずだ。


