NHK「豊臣兄弟!」では、清須会議が描かれる。信長亡き後、秀吉が天下人へと進んでいくことになる大河ドラマの定番だ。だが、ルポライターの昼間たかしさんによれば、本来は同席していてもおかしくない人物がもう一人いるという。昼間さんが、先行研究や史料などから史実に迫る――。
絵本太閤記 清洲会議の一場面。
絵本太閤記 清洲会議の一場面。豊臣秀吉が3歳の三法師を抱いてあらわれた。(写真=日本城郭資料館所蔵/ブレイズマン/PD-Japan/Wikimedia Commons

清須会議にいなかった滝川一益

いよいよ後半戦に突入したNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。8月9日放送の第30回「清須会議」では、勝家(山口馬木也)、長秀(池田鉄洋)、秀吉(池松壮亮)、恒興(堀井新太)の4人が、亡き信長の後継と遺領を巡って火花を散らす。物語はいよいよ後半最初の山場、賤ヶ岳の戦いへと動き出している。

だが、この清須の座敷に、本来もう一人いてもおかしくない男がいたことに気づいた視聴者はどれだけいるだろうか。

滝川一益(猪塚健太)である。

長島攻め、長篠、甲州征伐と、信長の主要な合戦をほぼ皆勤してきた宿老中の宿老。武田が滅んだ直後には、その論功行賞で上野一国と信濃二郡を与えられ、関東方面の総責任者にまで抜擢されている。序列でいえば柴田勝家に次ぐ、織田家臣団のナンバー2と言っていい男だ。

その一益は、天下の行方を決める会議の場にいなかった……。

これは、単なる欠席ではすまなかった。その代償は想像を絶するほど大きかった。会議の前、一益は織田家臣団の中でも別格の存在だった。会議の後、彼の名前は遺領配分のどこにも見当たらない。清須会議とは、出席した4人が果実を分け合った会議であると同時に、欠席した一人が東国のすべてを失った会議でもあったのだ。

なぜ、一益はそんな大事な会議を欠席してしまったのか?

“関東管領”と称された織田家の重臣

考えてみれば、滝川一益という武将は役割の大きさに比べて妙に影が薄い。

織田政権での一益の重要性を示すのは、甲州征伐後の配置である。

1582年、武田家が滅亡した後、武田旧領の甲斐・信濃・上野には織田家の諸将が配置されたが、この中で一益は上野国厩橋城(現・群馬県前橋市)に派遣されている。菊地浩之『織田家臣団の謎』(KADOKAWA、2018年)によれば「俗に関東管領と称された」という。

菊地によれば、一益は1550年代前半にはすでに信長に仕えていたとされる古参の家臣である。菊地は、池田恒興の従兄弟という説もあるとしたうえで、父祖伝来の譜代である「勝幡譜代」に属すると考えられるともしている。武田攻めにあたっては副将格で参戦しており、厩橋城に入るにあたっては上野一国に加えて信濃小県・佐久の二郡も与えられた。この際、武田氏旧臣も配下に組み込まれており、その中には真田昌幸の名も見える(谷口克広『織田信長家臣人名辞典』吉川弘文館、2010年)。

新たな領地、しかも容易に恭順するとは思えない武田旧臣の支配も任されているあたり、織田家中でも五本の指に入る重臣だったことは間違いないだろう。