対外的な脅威、対内的な不信

年齢もさることながら、一益が実際に抱えていた仕事の中身を考えると、これはもう「かなりの仕事」どころの話ではない。

相手が後北条氏だけなら、まだいい。歴戦の一益なら、外部の敵に対処する経験は十分にある。

だが、一益の手元にいたのは、後北条氏に対峙するための味方であるはずの上野国衆たちだ。そしてその大半が、つい先月まで武田を主君と仰いでいた連中である。昨日まで「武田様、武田様」と言っていた者たちが、主家滅亡と同時に「はい、次からは織田様でよろしく」と鞍替えしてきているのだ。忠誠心などあってないようなもの、いや、正確に言えば、忠誠の対象を切り替えることそのものに、彼らはまったく躊躇がない。今日は一益に頭を下げていても、明日、北条が優勢と見れば、また平然と旗を替えるだろう……。

対外的な脅威と対内的な不信、この二正面を同時に抱えることは、かなりの重荷であった。

伊藤がここで取り上げる茶人仲間に宛てた手紙(群馬県史資料篇7-三一八号)では、その心情がありありと浮かんでいる。

なにしろ、一益は武田征伐の褒美として信長から「小なすび」の茶入れを所望しようと思っていたのに、意に反して「遠国」に派遣されてしまい、茶の湯を楽しむこともできなくなってしまったと嘆いているのである。そして、手紙では「存知より候ハぬ地獄へおちおち候(思いもよらない地獄へ落ちたようだ)」とまでいっている。

信長としては、信頼できる重臣として一益を東国へ下向させたはずなのに、当の本人は完全に心が折れていたのである。

太平記英勇伝:三十五、滝川左近一益 (1867年作)
太平記英勇伝:三十五、滝川左近一益 (1867年作)(写真=落合芳幾作/東京都立図書館所蔵/PD-Japan/Wikimedia Commons

一益に課せられた“東国全体の再編”

改めて考えてみると、秀吉や勝家に比べても任務は重い。先に一益が「関東管領」として扱われたことに触れたが、これは後世の軍記物で見られる記述。ほかにも後世には「東国御奉行」など様々な呼称が用いられているが共通しているのは、一益が東国をすべて織田の支配下に組み込む任務を背負っていたことだ。

谷口克広は、その任務は、関東の領主を織田のもとに組織化すること、友好関係にあった後北条氏を服属関係にすること、東北の諸大名も服属させることだったとしており、柴裕之もこの説を追認している(「織田政権の関東仕置―滝川一益の政治的役割を通じて―」『白山史学』第三七号)。そして、この壮大な事業を進めるために一益が与力として組み込んだのが、先に触れた武田旧臣たちだったのである。

これは、秀吉の播磨攻めよりも難儀な仕事ではないか。

秀吉には、信長本隊という後ろ盾があった。畿内という安定した後方があった。そして戦う相手は、基本的には毛利という「外」の敵である。

一益には、そのいずれもない。後方支援の期待できない最前線に単身放り込まれ、しかも味方として組み上げるべき手駒そのものが、つい先月まで武田の旗の下にいた「元敵」なのだ。国衆を組織化し、後北条を服属させ、東北大名まで従える。秀吉の任務が一国の攻略だとすれば、一益に課せられたのは東国全体の再編である。