強力なスパイ網が「外交の弱点」を生む
皮肉にも、強い情報機関が外交の弱点を生む局面がある。相手国が「中国と関わると、どこかで情報機関につながるかもしれない」と感じ始めれば、中国企業の買収、大学との連携、研究者の招聘、留学生交流まで摩擦が増える。軍事的な秘密を得るための網が、経済交流と科学技術協力の入り口を狭めるのである。
この不信は、機密を扱う人だけにとどまらない。大学が中国企業との共同研究を審査するとき、研究テーマだけでなく、資金の出どころ、共同研究先の株主、国有軍需企業との取引、研究成果の移転先まで確認することになる。企業も同じだ。人材紹介会社から届いた候補者、海外の顧問契約、技術助言の依頼が、どこで国家安全機関や軍需産業につながっているのかを見なければならない。
習近平政権が情報網を広げた理由は理解できる。米中対立が長期化し、半導体、AI、宇宙、通信、海洋、金融データまでが国家競争の対象になった。中国は、自国の技術不足を埋め、軍を近代化し、体制の安定を守るため、国内外の情報収集能力を強めた。
情報を集めて、信用を失った
しかし、工作が広がるほど、相手国の防諜機関は学習する。求人サイトの偽企業、講演依頼、コンサル契約、暗号化アプリ、仮想通貨払い、民泊物件のアンテナ。手口が具体的に公表されれば、次の標的は警戒し、企業は研修を行い、大学は審査を厳しくする。摘発は一件の失敗を超え、工作網全体の手口を世界にさらす逆宣伝になる。
日本企業と大学も、この変化の内側にいる。半導体や素材、通信、航空宇宙、防衛関連スタートアップ、大学のAI研究は、経済安全保障の現場である。採用、共同研究、投資、講演、顧問契約を「人のつながり」とだけ見る時代は終わった。相手が誰で、何のために、どの情報を欲しがっているのかを確認する防諜意識が企業経営の基礎になった。
中国スパイの摘発を遠い国のスパイ映画として眺めれば、足元の入り口を見落とす。研究者の受信箱、転職サイト、大学の交流窓口、企業の海外事業部に、静かに入り込むリスクである。習近平政権が築いた巨大な情報網の大誤算は、個別のスパイが捕まることそのものではない。
技術を得るために広げた網が、中国と関わるだけで警戒される空気を生み、国家にとって最も回復しにくい資産である信用を、自ら削り始めたことにある。


