当時、長澤社長は営業本部長だった。どん底とは? 年商100億円程ながら、「自己資本が非常に薄かったんです」と説明する。顔がゆがむ。

「休眠会社で損を抱えた会社が3社ぐらいあって、実質、債務超過だったんですよ。これって、会社としては一番まずい状態ですよね」

加えて、2000年にはオーストラリアに有機小麦を活用したうどん工場を建設した。「そこからまた、赤字を重ねていたんです。そこに全部目をつむって、銀行が助けてくれたから何とかなったんです」

結局、依頼のあった雑穀の開発を始め、2006(同18)年、黒豆や赤米、玄米、もちあわ、白麦、黒煎りゴマなど16種類を配合した「十六穀ごはん」が発売された。

はくばく「十六穀ごはん」
写真提供=はくばく
はくばく「十六穀ごはん」

「経営者としての分かれ目だった」

これが売れに売れた。実は大手の通販会社が偶然にも同様の雑穀十六穀ごはんという商品を売り出し、CMをし始めことも幸いした。

「雑穀のマーケットが少しずつ大きくなっていった時、通販がCMをバンバン打ち始めてくれて、スーパーにあるうちの商品の売上がブワーと伸びていったんです」

ところで、なぜ16種類なのだろう。雑穀を開発する場合、いろんな穀物を混ぜ、調査をしていくことになる。味、色、食感、粘り気などのレーダーチャートをつくって、長澤社長は「“その輪を一番大きくしてくれ”と依頼しました」と振り返る。穀物を入れ替えては、何百回も炊飯器で炊いては試食する。根気のいる試行錯誤がつづく。

十六穀シリーズでは、五穀、六穀、八穀、十五穀も商品化された。でも、十六穀で打ち止めとなった。十七穀は? そう聞けば、長澤社長は笑いながら、「開発チームが十七穀を持ってきたんです」と教えてくれた。

「数の競争はやめたかったんです。16ってちょうど切りがいい数字でしょ。アサヒ飲料が販売しているブレンド茶には十六穀茶というのがあって、一応、16という数字がスタンダードだと思います。だから、17じゃダメだって言って、1個減らしてもらしました。私が(開発に)口出ししたのは、その程度ですよ」

「十六穀ごはん」の発売が「経営者としての分かれ目だった」と長澤社長は言い切る。

はくばく・長澤社長
写真提供=はくばく
社員の前のマイクを握る長澤社長

かつては「穴が開いたバケツ」状態だった

はくばくの前身は1941(昭和16)年設立の峡南精米で、創業者の長澤重太郎氏が「麦こそ健康の源」として麦飯用大麦の加工事業に力を注いだ。1992(平成4)年に現社名の「はくばく(白麦)」に変更された。

長澤社長は1966(昭和41)年、山梨県生まれ。甲府南高から東京大学に進学し、ラグビーを始めた。ポジションがプロップ。大学卒業後は住友商事に入社し、92(平成4)年、父の長澤利久氏が二代目社長を務める「はくばく」に入った。95(同7)年に経営企画室長として本社に戻り、経営状態の悪化に気づき、業務改善に取り組んだ。