これ以上ないほど残念な人
これを読んだとき、私は背筋が寒くなった。次に逮捕される社員? この人たち、ついにそれをビジネスプランの一部に組みこもうとしているってこと?
マークはまるで意に介さなかった。ここまで言われてもなお投稿する気でいた。エリオットは切迫感のにじむメールを送り、〈きみの助言者の意見は一致している(めったにないことだ)――この投稿はすべきではない。ブラジルの状況はあまりに複雑で、ディエゴや現地チームを重大な危険にさらしかねない。〉と伝えた。
マークは引き下がらず、より被害の少なそうな新たな投稿案を書いてほしいとエリオットに頼んだ。エリオットは代替案を書いてマークに送りはしたが、その代替案もやはり〈裁判所の否定的な反応を引き起こすおそれがあり〉〈ブラジル国内でこの投稿を共有することで生じるリスクは、ブラジル国外で得られる利益を上回る〉と改めて警告した。
一連のやりとりは、マークがこれ以上ないほど残念な人であることを明らかにした。
「釈放のためにあらゆる手を尽くす」と言いながら、ディエゴの安全をまったく心配していない。このできごとを、出来のよい投稿――ハートウォーミングな投稿――をするチャンスとしてしか見ていないのだ。
つまらない投稿文にうつつを抜かす
ディエゴの身の安全をほんのわずかでも気にかけているなら、あるいは上司として責任を感じているなら、夕食に出かける前にこのちっぽけな作文を世界に向けて投稿することにこれほど固執するはずがない。こんなものを投稿すれば、大きな害をもたらすとわかっているのだから。
投稿などする代わりに、打てるかぎりの手を打つのが当然だ。ブラジル大統領に電話をかけるとか。Internet.orgのロビー活動を通じて私が引き合わせたブラジルの議員たちに連絡し、ディエゴの釈放を支持する声明を出してほしいと拝み倒すとか。そう、そのとき私がしていたのと同じことをしていたはずだ。
たとえ同じ圧力でも、私なんかよりマークがかけたほうがはるかに大きな効果があったに違いない。この問題でマークとやりとりしていたエリオットに、私は訴えた――将軍は、自分の兵と共に戦場にとどまるべきです、と。
投稿をめぐる議論に決着がつく前に、ディエゴは出廷した。
最終判断をゆだねられた控訴裁判所は、ありがたいことに、午前3時30分、ディエゴの釈放を決定した。逮捕から24時間もたっていなかった。
このできごとを境に、私はマークに強い嫌悪感を抱き、それまでとは違った目で見るようになった。留置場にいたのは私だったかもしれない。ミャンマーで、韓国で、タイで――Facebookを代表して訪れたどこかの国で。私のチームの誰かだったかもしれない。おそらく私は、社員の誰かが留置場に放りこまれた瞬間、かならず救援部隊が駆けつけるという期待の最後のひとかけらを捨てきれずにいたのだと思う。
あるいは、世界有数の富豪の一人があらゆる手段を尽くしてくれると信じていたのだ。ところが現実に社員が留置場に放りこまれたとき、会社で誰よりも大きな力を持つ人物であるマークは、あらゆる手段を尽くすどころか、つまらない投稿文にうつつを抜かし、そのあと夕食に出かけていった。これが人としての良識が問われるテストなら、明らかに落第している。


