横浜市副市長時代に格差を実感

私はこの悲惨な状況を、2003年に横浜市の副市長になって初めて実感しました。それまで都心で仕事をしていたので、丸の内に勤めて仕事と育児を両立しながらバリバリ働いている女性ばかり目にしていたのですが、そんな人は世の中のごく一部で、裏には死屍累々の山が築かれているのだと気づきました。

しかも氷河期世代は人口が多くて人手が余っていたものだから、99年には原則として全職種での派遣が、2004年には製造業への派遣が解禁されてしまいました。

これによって、それまで多くの女性が就いていた「一般職」といわれる事務職は派遣労働者への置き換えが進み、女性の正規採用のルートが一気に狭まりました。

さらには、製造業の正社員というのは男性にとって安定した職でしたが、そこに就職できる人も減りました。製造業の正規職は一馬力で家族を養える数少ない職種のひとつだったのに、それが派遣労働者へ置き換えが進みました。家族を持てる経済力を持つ男性が減ったのです。

国も何もしなかったわけではありません。2003年には、若者の雇用や自立支援を目的とした「若者自立・挑戦プラン」を策定しています。

非正規の人は「自己責任」なのか

ところが、同プランの当初の柱は「若者のキャリア意識の育成」。国は、若者が正社員にならないのは意識の問題だと考えていたのです。正規の職に就かないのは自由でいたいからであり、結婚せず子どもを産まないのはわがままだからだと。

前田正子さん
前田正子さん(撮影=プレジデントオンライン編集部)

実際はそうではありません。2000年の大卒の求人倍率は0.99で、1を切ったのはこのときが唯一です。正社員の口そのものがないのですから、いくらキャリア教育をしたところで成果が出ないのは目に見えています。

さらには、このとき問題とされたのは主に男性の雇用であり、女性は稼げなくても結婚すれば解決するからと考えられていました。就職氷河期、男性たちより弱い立場だった女性たちが受けた打撃はさらに大きく、非正規化や雇用の不安定化が一気に進んだのにもかかわらず軽視されたままだったのです。

国はこのころはすでに、結婚して子を産んでいた人たちへの支援は充実させようとしていました。しかし、その前段階にあった氷河期の若者の貧困に対しては支援策を打ちませんでした。職がないのは意識の問題で、自己責任だと捉えていたからです。