吉川元春の書状が明らかにした「密約説の否定」

なぜ、毛利氏は援軍を送り込みながらも、秀吉と和睦を結びやすやすと見逃してしまったのか。近年になり、毛利氏が軍勢は揃えたものの、完全に詰んでいたことが明らかになりつつある。

吉川元春像(早稲田大学図書館蔵)
吉川元春像(早稲田大学図書館蔵)(写真=PD-Japan/Wikimedia Commons

中でも最近もっとも注目されたのが、山口県の岩国徴古館に寄贈された吉川元春の書状だ。これは6月に「読売新聞」などでも取り上げられて話題になっている。この書状は、岩国吉川家・家老五家のひとつである今田家から寄贈されたもの。各報道によれば、この書状を精査した東京大学史料編纂所の村井祐樹准教授は、毛利方の戦況の厳しさを認識していたことを示す史料と評価。各社は従来の“密約説”を否定する(矛盾する)内容として報じている。その書状は以下のようなものだ。

読売新聞「秀吉の備中高松城『水攻め』、吉川元春の書状に毛利の苦境克明に…『本能寺の変』当日の出来事記す」2026年6月2日
朝日新聞「秀吉の備中高松城水攻め、相手方の書状初確認 俗説を否定する内容」2026年6月2日
47NEWS 共同通信「本能寺当日も決戦の構え 毛利氏側書状、密約なしか」2026年6月2日