吉川元春の書状が明らかにした「密約説の否定」

なぜ、毛利氏は援軍を送り込みながらも、秀吉と和睦を結びやすやすと見逃してしまったのか。近年になり、毛利氏が軍勢は揃えたものの、完全に詰んでいたことが明らかになりつつある。

吉川元春像(早稲田大学図書館蔵)
吉川元春像(早稲田大学図書館蔵)(写真=PD-Japan/Wikimedia Commons

中でも最近もっとも注目されたのが、山口県の岩国徴古館に寄贈された吉川元春の書状だ。これは6月に「読売新聞」などでも取り上げられて話題になっている。この書状は、岩国吉川家・家老五家のひとつである今田家から寄贈されたもの。各報道によれば、この書状を精査した東京大学史料編纂所の村井祐樹准教授は、毛利方の戦況の厳しさを認識していたことを示す史料と評価。各社は従来の“密約説”を否定する(矛盾する)内容として報じている。その書状は以下のようなものだ。

読売新聞「秀吉の備中高松城『水攻め』、吉川元春の書状に毛利の苦境克明に…『本能寺の変』当日の出来事記す」2026年6月2日
朝日新聞「秀吉の備中高松城水攻め、相手方の書状初確認 俗説を否定する内容」2026年6月2日
47NEWS 共同通信「本能寺当日も決戦の構え 毛利氏側書状、密約なしか」2026年6月2日

此表之儀者、廿一日至岩崎打上候対陣之趣は具々令申候、
高松之儀、水を仕懸候而下口をつき塞ぎ候て責申候条、
何共自此方之加勢も城内競二不成様候而、
日々無心元計候、
兎角於于今は安否之一戦申付候て不叶趣候条、
其相談も於旨儀者定而中書兵部具可被申候、
さそく自其表可御心元と存計候、何■重々可申候、恐々謹言

六月二日 元春(花押)

「経高 参 申給へ」

(枝元咲「資料紹介:岩国徴古館所蔵『今田家文書』吉川元春書状について」『岩国徴古館調査報告書』第4号)


筆者訳:
こちらの(備中高松での)戦況については、去る5月21日に岩崎山(高松城周辺の山)まで進出して(羽柴秀吉軍と)対陣している様子を、すでに詳しくお伝えしている通りである。

さて、高松城の件だが、敵(秀吉軍)は水攻めを仕掛けてきており、川の下流(排水口)を塞いで攻めてきている。そのため、こちらからいくら援軍(加勢)を送り込もうとしても、城内の士気を高めたり競い合わせたりすることが全くできない状態で、日々不安で(心細くて)たまらない。

とにかく今となっては、城の安否(存亡)を賭けて一か八かの一戦を交えようとしても、それすら叶わない(戦いようがない)状況である。

この件に関する今後の相談や方針(和睦交渉など)については、詳しく中書(小早川隆景)や兵部(福原広俊など)からそちらへお伝えすることになるだろう。

そちら(今田経高が守る東部戦線など)の戦況についても、すぐに様子が知りたいと気にかけている。いずれにせよ、詳細については重ね重ね連絡する。恐々謹言。

6月2日 吉川元春(花押)

今田経高(上野介)殿 へお渡しください