自分の人生が丸ごと奪われた

プロドラマーの発症も目立つと感じていた山口さんは、ジストニアについてすこしでも正体をつかみたいという一念で、2021年から慶應大・藤井進也准教授の研究室に所属し、みずからジストニアの研究を始めた。また、再び演奏活動に戻ることを目指して、足以外の動作でドラム演奏をするシステム開発にも乗り出している。

が、それは活動を休止し、しばらく経ってからの話である。人気絶頂のバンドを離脱するしかなかった当時は、「自分の人生が丸ごと奪われたような気持ちでした」と嘆くばかりで、どこにも光明を見出すことができなかった。

大学在学中にメンバーから誘われRADWIMPSに加入した山口さんは、このバンドでドラムを叩くことにすべてを捧げてきた。それが自分の使命だとも思い、満たされていた。そんなかけがえのない「居場所」が、原因不明の病によって強制的に奪われてしまうという状況は、受け入れ難かった。

2013年、RADWIMPSのライブでの山口さん。
画像提供=有限会社ボクチン
2013年9月15日に開催されたRADWIMPSの野外ワンマンライブでの山口さん。

バンドの活動を休止したときは、30歳を迎えるタイミングだった。早くに結婚をしており、妻・冴希さんとのあいだに4歳・2歳・0歳の子どももいる。この状況で無職となってしまえば、悲観し絶望的な気持ちになるのはやむを得ないところである。

妻からかけられた意外な言葉

ずっと音楽に打ち込んできた山口さんは、ミュージシャン以外の仕事をしたことがない。家族の生活を守らなければいけないという気持ちはもちろん強かったが、他の職に就いて働こうと気持ちを切り替えることは、しばらくのあいだできなかった。

それでも自暴自棄にならず、何とか踏み留まって自分の置かれた状況を見つめ直そうという姿勢をとることができたのは、妻・冴希さんの存在が大きかった。

絶望して無気力になっていた山口さんに、冴希さんは笑顔でこう声をかけた。

「私はこれからの智史くんの人生を、とても楽しみにしてる」

言われた直後はピンとこなかったが、

「自分の存在と可能性を信じてくれる人がいるのは、こんなに心強いことなのかと知りました。RADWIMPSじゃなくても、ドラマーじゃなくても、自分がきっとまた輝けると信じてくれる人がいたから、なんとか今日まで生きてこれたんだと思います」

病状や精神状態、取り巻く環境がすぐによくなるわけではなかったものの、家族の存在は救いとなった。おかげで山口さんは回復しよう、前を向こうという意思を保つことだけは、かろうじてできていた。