経営側がこだわった「以降」「誠意」

9月17日。この日妥結できなければ翌日からストライキを決行する、と選手会は予告していた。交渉の期限は17時だ。

前日からのしこりを残しながらも、双方はどうにか妥結点を見いだそうと協議を重ね、「新規参入に向けて動く」という大筋の方向性では一致を見ていた。ただ、合意書に載せる文言の調整で紛糾した。

選手会側が求めたのは、「2005年からの新規参入に向けて最大限の努力をする」と明記することだった。対する経営側は、「2005年から」ではなく「2005年以降」、「最大限の努力」ではなく「最大限の誠意」という表現にこだわった。

すでにオーナー会議において、翌2005年シーズンはセ・リーグ6球団、パ・リーグ5球団の計11球団で実施することが決定していた。また、限られた時間の中で急ピッチの審査を余儀なくされれば、新規参入企業の適格性を公正に判断できないという実務上の懸念もあった。これらを理由に、経営側は「以降」「誠意」という慎重な表現に留めるスタンスを崩さなかった。

「なぜ『最大限の努力』と書けないのか」。迫る選手会に対し、瀬戸山はその要求を跳ね除け続けた。だが、内心は違った。

選手会がストを決行し、12試合が中止に

「私個人の考えとしては、妥結できるならそれくらい入れてもいいんじゃないかと思っていました。仮に『最大限の努力』と書いたところで、何かを確約することにはならない。でも、一部の球団がどうしてもダメだと譲らなかった」

組織としての答えが「NO」である以上、瀬戸山もその意思に従わざるを得なかった。

わずか4文字の言葉の壁が、最後まで立ちはだかった。タイムリミットを大幅に過ぎた21時近く、選手会はついにストライキ決行の決断を下した。

「ストライキ」と書かれた段ボールを両手で掲げる人
写真=iStock.com/SandraMatic
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選手会が発行した書籍の中に、こんな印象的な記述がある。

「やっと着くことのできた同じテーブルで、本当に確かめたかったことは、言葉ではなく、言葉と一緒に感じられる何かだった」(出典:『勝者も敗者もなく』)

その「何か」が、最後まで通い合うことのないままの決裂だった。

9月18、19日の2日間にわたり、日本プロ野球史上初となるストライキが決行され、計12試合が中止となった。交渉を妥結に導けなかった瀬戸山は、当時の心境を改めて問われると、しばらくの沈黙のあとにこう口を開いた。