人前に出られなかった少年
沢田さんは1998年、愛知県半田市に生まれた。現在のリサイタルでは「トークを楽しみに来るお客さんがいる」と言われるほど舞台上での話しぶりに人気のある彼だが、幼い頃の性格は全く違っていたという。
沢田さんが音楽と触れ合うきっかけは2歳のとき。母親の勧めで地元のヤマハ音楽教室に通い始めたものの、親子で歌ったり踊ったりは楽しめても、先生から「前に出て披露して」と言われると、母親の陰に隠れて前に出ていけない子供だったそうだ。
「当時の記憶はありませんが、ピアノはずっと『習い事の一つ』に過ぎませんでしたね。別にそれ以上でも以下でもないし、熱中したという記憶もないんです。水泳や英語を練習するのと同じ感覚で、『習っているから弾いている』というだけでした」
ただ、ピアノが『他の習い事』と少し違ったのは、少しずつ難易度の上がる練習が全く苦にならなかったことだ。小学生になってピアノ個人レッスンのコースが始まると、新しい曲の譜面を読み解くことが、パズルを解くように楽しく感じられ、次から次へと瞬く間に新曲を弾けるようになった。
「新しいメロディや弾いたことのない音楽が弾けるようになると、やっぱり楽しい。知らない言語が喋れるようになる感じに近いかもしれないです」
屋内で過ごす時間が育てた才能
そんな少年時代の沢田さんをさらにピアノに向かわせたのは、小学2年生の夏休み、家族で富士山に登ったときの出来事だった。
登山道に堆積した火山灰を大量に吸い込んだのがきっかけで、アレルギー性気管支喘息を発症してしまったのである。
それまで「メジャーリーガーになりたい」と夢を語っていた彼は、以後、体育の授業以外、屋外での運動を控えるようになり、砂埃の中で活動する少年野球チームへの入会も諦めざるを得なかった(一方、そのとき主治医となった小児科医に憧れを抱いたことが、後の彼を医師の道に進ませることにもなった)。
喘息のため屋内で過ごす時間が増えたその秋、たまたまグランドピアノを購入したのもきっかけとなり、自宅でピアノを弾く時間が格段に増えた。それまで自宅にあったアップライトピアノでは出せなかった音色の豊富さに魅了されたからだ。小学4年生になると、当時、レッスンを受けていた講師から勧められるがまま3つのコンクールに出場した。彼はその全てで全国大会に進出する結果を見せて周囲を驚かせた。
「他の習い事に比べると、ピアノだけは苦労せず、気づくとコンクールでも上位にいるんですね。弾けなくて困った、なかなか上達しない、弾けなくて立ち止まった、という記憶はありません。自然と弾けるようになっていくという感じで……」
そう語るときの彼に謙遜の様子はなく、「たまたま向いていたんだと思います」と飄々と続けるのだった。
