辞めるつもりで出場したコンクール

「学校の友達と週末も全く遊べないですし、母からは『ピアノは趣味だからね』と言われていました。なので、趣味のはずなのにどうしてこんなに時間がとられるんだろう、と」

なぜ、自分はピアノをやっているのだろう――という疑問が頭をもたげてきた。そして、中学2年生のとき、彼は「ピティナ・ピアノコンペティションJr.G級」への出場を最後に、ピアノを辞めると母に告げることになった。

ところが――。

「ピティナ・ピアノコンペティションJr.G級」は、高校1年生以下を対象とする日本最高峰のソロ部門。将来のピアニストを目指す若者たちの登竜門として知られるコンクールである。

出場者には憧れる同年代のピアニストも多く、そして、このコンクールの期間中に交わした彼ら、彼女たちとの交流が、沢田さんをピアノの世界に踏みとどまらせることとなったのである。

「コンクール全国大会2カ月前に1泊2日のマスターレッスン講習会があり、期間中に一緒にご飯を食べたり、話したりした時間が本当に楽しかったんです。全国大会の楽屋でもおしゃべりしたり。初めてピアノ仲間という存在を得られて、『こういうのを続けたいな。こういうのが楽しいな』と感じて、また皆と一緒のステージに立ちたいと思ったので、ピアノを続けることにしたんです」

そして、それから2年後、高校1年生となった彼は、前述のとおりフランクフルト国際空港でピアノを「誰かに聴いてもらう」という喜びに触れる。

ピアノを弾くことが「競争」ではなく、緊張感の先に「人との出会い」を生み出す表現であること――。沢田さんが「ピアニスト」となった経緯から浮かび上がる、彼にとってのピアノを弾く意味の一端ではないだろうか。

ゼロから積み直したピアノ

では、ピアニストとしての沢田さんにとって、ピアノを弾くという「表現」とはどのような世界としてあるのだろうか。

彼の演奏者としての価値観の土台となっているのが、15歳のときから師事している関本昌平氏の教えだ。関本氏は2005年のショパン国際ピアノコンクールで4位に入賞したピアニストである。

「師匠のレッスンを受け始めたことで、全てが変わりました」と沢田さんは振り返る。

沢田蒼梧さん
撮影=伊藤圭

「弾き方、体の使い方、楽譜に対する意識、その全部をゼロから積み直しました。最も大きかったのは、体のいろんなところに入っていた余分な力が取れたことですね。演奏中に自分の体へ意識を張り巡らせるようになってから、あらゆることが変わっていきました」

具体的には、自らの動きを意識し、適度にリラックスして弾けるようになると、響かせられる音が大きくなったという。そして、「大きな音」が出せるようになったことで、その音に対する「小さな音」も綺麗に響くようになった。

「自分の手に持っているパレットの色が増えた、みたいな感覚でした」

そうして音の幅が広がれば広がるほど、ピアノを弾いている時間が「テクニックを磨くこと」から音楽そのものとの対話へと変化していった、と沢田さんは続ける。