「あがいてみよう」28歳で店を継ぐことを決意
ちょうどその頃、浅草の靴メーカーで働いていた村上さんは、職人を続けるべきか悩んでいた。すでに業界は縮小傾向にあり、どれほど腕を磨いても人生が上向かない「報われない構造」に直面していたのだ。
下積みを終えて正社員として働いても、ひと月の給料は1万円から4万円。半年間で12万円にしかならなかった。10年先に勤めていた熟練の先輩ですら、額面20万円に達しない厳しい現実に甘んじている。父からは「お前の給料、うちの会社の中国支社のパートより少ないぞ」と冷静に現実を突きつけられた。
「自分の力を出しても結果に反映されない。10年経っても、たぶんなにも変わらない」
納得がいかず「夜間の大学に通い直して、別の業界に行くのもアリだな」とも考えていた。では、なぜ店を継いだのか。
「おかみさんに『靴の仕事を続けるなら、ここでやってみたら』と言われたんです。僕のなかに、せっかく佐藤さんと関さんから素晴らしい技術を教わったのに、靴の仕事を完全に諦めてしまうのはもったいないという思いもあって。おかみさんに背中を押されて、ここでもう少しあがいてみようと腹をくくりました」
2011年5月、村上さんは28歳でハドソン靴店の2代目店主となった。
閑古鳥が鳴く店で見つけた、意外なニーズ
一念発起して店を継いだものの、現実は想像以上に厳しかった。店では靴職人としてオーダーメイド靴の製造を続けていたものの、注文が入らないのだ。
それもそのはず。先代から引き継いだ店は、軒先で体育館シューズや雪駄も並べる「昭和の靴屋さん」そのもの。10万円以上かけて靴をオーダーしようとする人はもっと都心の店に行ってしまい、シャッター商店街の小さな店に頼もうとする人は滅多にいなかった。
このままでは生き残れない――。
「とにかく店を潰さないように必死でした。近所に住む方の頼まれごとにも対応したりして、仕事のないときはなんでもやりましたね」
いい解決法が見つからず頭を抱える毎日だったが、店を開けていると「あそこの職人が途中でいなくなった。ここから先をやってくれないか」と修理の相談が来るように。最初は片手間に引き受けていたものの、直した靴の仕上がりがいいと評判になり、「○○さんに紹介されて」と訪ねてくる客が増えていった。
そのなかには、遠方からわざわざ訪ねてくる客もいた。不思議に思い話を聞いてみると、多くがほかの店で修理を断られた人たちだとわかった。
「断られた靴」にあったチャンス
「当時はビスポーク(対話しながらつくる最高級のオーダーメイド靴)の技術をもっていても、自分のブランドの靴しか直さない店が多かったんですよね。チェーンの修理店はスピード重視なこともあり、細かな依頼は受けつけない。断られたり納得できない修理をされたりして、宙ぶらりんになっている方が多いんだなと気づきました」
オーダーメイド靴は精密な工程を経て製作される。木型の製作から革の裁断・縫製、木型に沿わせて形を整える吊り込み、手縫いによる底付け、仕上げまで、すべてが職人の手でおこなわれる。


