「いる」と言うか、「おる」と言うか

方言の分布を扱う言語地理学という分野では、「糸魚川・浜名湖線(糸浜線)」と呼ばれる方言の境界線が知られている(図表5)。親不知から、飛騨山脈、木曽山脈を通って浜名湖に至るラインである。糸静線は静岡県中部の安倍川を南端とするが、糸浜線はそれよりもやや西に南端がある。

語彙の東西方言境界線
出所=『新しい日本地理』、徳川宗賢(1981)『日本語の世界 8 言葉・西と東』中央公論新社

方言にはさまざまなものがあるが、基本的な語彙は容易には変化しないため、文化の違いを見る上では適している。例えば、否定の助動詞の場合、糸浜線の西側では「~ン」や「~ヌ」で終わるのに対し、東側では「~ナイ」という形が用いられる。存在を示す動詞「オル」と「イル」の境界も、おおむね糸浜線に一致する。

そのほか、言語地理学ではさまざまな語彙が東西対立分布を示すことが明らかにされてきた。太平洋側の境界は浜名湖であったり、名古屋近辺であったりとブレが見られるのに対し、日本海側はたいていが親不知を境界としている。親不知がいかに難所であったかが分かる。

東西文化の境界は「日本アルプス」

これらの方言境界線は、たしかに糸静線と似通っている。しかし、よく見れば糸静線そのものよりも、むしろ飛騨山脈や木曽山脈が境界線となっていることが分かる。

重永瞬『新しい日本地理 地図・統計・移動から読み解く』(講談社現代新書)
重永瞬『新しい日本地理 地図・統計・移動から読み解く』(講談社現代新書)

考えてみれば当然であるが、文化に差が生まれる要因は人の行き来が少ないことにある。だとすれば、山脈を境界と見なすほうが自然である。三関が文化境界になったのも、伊吹山地や鈴鹿山脈があるからである。

もちろん、糸静線は日本アルプスの東縁に当たるため、広く見れば東西の文化境界とも言える。しかし、断層が山よりも激しい文化の隔たりを生んでいるとは考えづらい

「一本の断層帯によって東西文化が分けられる」という見方は分かりやすいが、それよりは素朴に日本アルプスを東西文化の境界と見たほうが適切ではないかと思う(*4)

*1 真田信治『関西・ことばの動態』大阪大学出版会(2001: 81―84)
*2 「「マクド」に「ユニバ」、知らずに使ってる関西弁?」L maga.jp、2021年9月13日
*3 福井県のみは愛発関よりも西側も「東日本」扱いとなっている
*4 本節の記述は、細井星也氏(東京大学大学院新領域創成科学研究科自然環境学専攻)からの教示を参考にしたものである

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