丁寧に会話する重要性

問題は、いくら真実であるとはいえ、「イヤです」という明確な拒否姿勢を見せている点です。こうもストレートに本音を述べてしまっては、会話自体は成立しても、人間関係は破綻するでしょう。グライスが考えた4つの原則は、会話という情報のやりとりを破綻なくスムーズに成立させるために必要な原則です。

NOを示す手
写真=iStock.com/sabthai
※写真はイメージです

しかし、それさえ守っていれば対話、つまり会話をとおして共通理解を深めることまでうまくいくとは限りません。このような場面であれば、真実を述べること(=質の原則)を多少犠牲にしてでも、人間関係に摩擦が生じないような、丁寧な言い方を選ぶ必要があります。

実は、グライス自身も4つの原則とは別に「丁寧にせよ(Be polite.)」という社会的性質に基づく原則を立てることも考えられると認めています。

しかし、詳しい分析はしていません。というのも、「協調の原理」とは、会話の目的に沿った内容を話すべきだという原則です(先の例でいえば、残業の諾否を確認することが会話の目的です)が、相手に丁寧に接して人間関係を良好に保つことは、その目的からは外れるからです。そのため、グライスは「丁寧さ」を主要な原則には含めないと判断したようです。

「丁寧」は不確定要素

これは、物理学でたとえるとわかりやすいでしょう。ボールを、ある強さの力で放り投げたとき、摩擦や空気抵抗などを考慮しなくてよい理想的な環境であれば、「慣性の法則」に従ってボールは一定のスピードで、同じ方向へ飛行し続けます。

しかし、空中には空気があり、風があり、地球上であれば重力もありますので、そういった外的条件の影響を受ければ、いずれボールの移動スピードは落ち、地面に落下することになります。そういった不確定要素をいちいち考慮していては、ボールの速度や弾道は計算できません。「丁寧にせよ」というのも、この不確定要素のような扱いにされてしまったわけです。

しかし、科学技術の発達により、風速や風向きを考慮した弾道計算の精度は向上しています。同じように、会話の不確定要素である「丁寧にせよ」も、さまざまな研究が重ねられてきました。このポライトネスが人間の現実的な会話にとって欠かせない要素であることをこのあと見ていきます。