限界が来る前に使える制度を調べ尽くす

住居費7110円。カルメンさんの家計簿を見ていて、ひときわ目を引く数字は、現在暮らしている都営住宅の家賃だ。

「私の場合は、本当に制度に助けられました」

そう言ってカルメンさんは振り返る。47歳で離婚を決意した当時、彼女はパート主婦だった。娘ふたりは高校生と中学生。それまでのカルメンさんは職歴らしい職歴もなく、収入も少ない。

しかし夫婦関係は限界を迎えていた。夫は大酒飲みで暴言がひどく、それはカルメンさんや娘ふたりに対する暴力にも発展していた。

「離婚するときは本当に悩みましたよ。私は月7万円のパート主婦だったから、お金もない。子どもたちは、『お母さんが先に出て生活安定させて……安定したら一緒に住もう』って言ったんです。だけど私は、それはできなかった。やっぱり子どもは連れていこうと思ったんです。

娘ふたりと夫と住む家を飛び出したときは、手持ちのお金も乏しかった。でもなんとかやってこられたのは、母子手当や、都営住宅にも入れたおかげ。あれがなかったら難しかったと思います。そんなことがあってから、自分が使える公的な支援はとことん調べるようになりましたね。その体験が、後に就いたケアマネージャーの仕事にも、役立っているかもしれない」

都営住宅は当時も競争率が高く、無抽選のポイント募集にも応募していた。しかし母子家庭のポイントがあっても簡単に入居はできなかった。だからカルメンさんは、現在の住宅の状態を仔細に申込書に記載し、窮状を訴えた。

3万5000円の都営団地で母娘3人暮らし

「離婚して最初に住んでいた家は、本当にボロボロ。家賃は6万5千円だったんだけれど、階段の鉄が錆びて穴があいていたり、コンセントの差し込み口も壊れていて、テープで固定しないと使えなかったり。そういうことを書いたら、ちゃんと住宅局の人が家まで調べにくるんですよ。それで『なるほど、この住環境はひどい』ということになって、都営住宅に入れることになりました」

都営団地は収入によって家賃が変動するが、これまで払った家賃が1番高い時で3万5千円ぐらいで住むことができたという。

「都営団地は古かったですけれど、娘たちにそれぞれ6畳の部屋を使わせることができました。私は物置みたいな3畳の部屋で寝ていましたけれどね。格段に暮らしは楽になりました」

家賃が下がったことで、生活は少しずつ安定した。高校生の娘たちは学校で学ぶ傍らアルバイトを始め、自分で稼いだお金で世界を広げていった。そしていまは、それぞれ独立して家庭を築いている。

「孫が3人います」

カルメンさんは、しみじみとした表情で言った。

都営団地に入れたことで、生活を立て直すことができた
筆者提供
都営団地に入れたことで、生活を立て直すことができた

離婚後のカルメンさんは、当初はクリーニング店で働いていた。その後介護職に転職。理由は単純だ。