農業ではなく「脳業」
「我々の事業は農家とは完全に一線を画しています。農業に軸足は置きながら、経営はメーカーとしての考え方で進めています」
この意識は創業時からのものだそうだ。実際、村上農園は、一度も農業補助金を受けたことがないという。
「といいますか当初は、もらいたくても、もらえなかったんです。そもそも水耕栽培自体が農業の範疇ではないと言われていて……。株式会社が農業をやるという発想自体が、昔は認められていませんでした」
補助金に頼れない、頼らないからこそ、自分たちの頭で考え、自分たちの判断で投資し、自分たちの商品で市場を開拓してきたのだ。村上さんはこの姿勢を「脳業」と呼ぶ。頭を使った農業。1990年代半ばから使い始めた造語だ。
「新たにマーケットを作り出すことが我々のテーマです。あるマーケットに対して売り込みをするんじゃなくて、“ない”マーケットを“ある”形にしていく。そのためには頭を使わないと、『そんなのいらないよ』って話になるじゃないですか」
「ドバイを見て死ね」
取材の終盤、ある講演で村上さんが語られていた、印象的な言葉の意味を尋ねてみた。
その言葉とは「ドバイを見て死ね」だ。
ナポリの絶景を見たゲーテの言葉「ナポリを見てから死ね」のもじりである。「ナポリの風光を見ずに死んでしまっては、生きていた甲斐がない」という意味だが、村上さんが見ているのは風景ではない。
「ドバイは元々、アラブ首長国連邦の中でも何もない国だったんです。石油もありません。ただの砂漠で、古い港町。だけど、なにもないからこそ開発しがいがあった。もし、さまざまなものがある街だったら、そこにあるものを変えなければなりません。何もない街だったからこそ、あそこまで自由に設計でき、発展できたんだと思います」
豆苗もブロッコリースプラウトも、もともと日本の食卓にはなかった。何もないところに市場を作り、品質基準を作り、全国に生産体制を作った。まさにドバイの砂漠に高層ビルを建てたのと同じ発想だ。
「事業は、そのときダメでもダメだと思っちゃいけない。可能性があるのかということを客観的に見たなかで、自分たちで『いずれこういう形にしよう』と考えていけば、どんな商品も、どの事業も発展するチャンスはあります」
村上農園のこれからのビジョンは、「2040年までに売上高1000億円」「世界一の施設野菜メーカーになる」だ。
65歳の村上さんは最後に、こう語った。
「日本はすっごくいい国なんですよ。そのいい面を海外にどんどん普及させていくのが日本の使命だと思います。我々もその一翼を担いたい」
カイワレの大量廃棄から出発し、「農業」を「脳業」に変えた男。倒産の危機に瀕したあの日から、売上高132億円の頂にたどり着いた今、その視線は世界を向いている。


