ちょうどそのころ、世界では「和食」への関心が高まり、日本米にも市場拡大の兆しが見え始めていた。

2014年2月。則竹はタイに移住し、精米卸業「Rice Creation」を立ち上げた。30歳だった。当時、タイで流通していた日本米の大半は国内生産だった。価格はタイ米より2割ほど高い。だが精米は長粒米向けの精米設備が使われることが多く、短粒種に最適化されていなかった。

白さを重視するあまり、必要以上に削られ、食味は安定しない。現地では「ジャスミンライスより少し柔らかい米」と受け止められていた。

高温多湿なタイでは、害虫対策として薬剤による燻蒸処理が一般的だ。現地の安全基準上は問題ない。だが則竹が目指したのは、日本で通用する味と品質を、タイで再現することだった。

「問屋任せ」の限界

2014年5月、バンコク近郊のパトゥムタニーに精米工場を設立した。チェンライで育てた米を、新鮮な状態で届けるためだった。

導入したのは日本製の精米設備。燻蒸に頼らず、低温管理と脱気包装で鮮度を保つ。さらに残留農薬ゼロを掲げ、日本への輸入時の基準をベースに、約500項目の検査を設けた。

当時のタイで、ここまで踏み込んだ精米業者はほかにいなかった。

「良い米をつくり、きちんと精米すれば、あとは問屋が広げてくれるはずだ」

則竹はそう考えていた。複数の食品卸から「ぜひ扱いたい」と声もかかった。だが、半年が過ぎても売上は立たない。倉庫には、精米済みの米袋だけが積み上がっていく。

大手の問屋に状況を尋ねた。「取引先は2000社ある」と聞いていたが、実際に紹介されていたのは50社ほどだった。数千の商品を抱える問屋では、新商品はどうしても後回しになる。

問屋任せの流通では、まだ無名の日本米が現場に届くはずがなかった。倉庫に積まれた米袋を前に、則竹は方針を切り替えた。

「自分たちの足で売りに行こう」

2025年7月の豪雨で、管理する約100ヘクタールの田んぼが浸水。「もう、やめようかな」と思った日もあった
筆者撮影
インタビューで当時を振り返る則竹さん。間屋任せの販売から抜け出し、自ら販路開拓に乗り出した

炊飯器2台を抱えて街に出る

さっそく日系フリーペーパーの飲食店マップを机に広げ、営業リストを作った。サンプル米を手に、一軒、また一軒。照りつける日差しの下、バンコクの日系飲食店を汗だくで回った。ところが、サンプル米の試食で返ってきたのは、厳しい一言だった。

「まずい」

理由がわからなかった。ある店の厨房をのぞき、則竹は驚いた。タイ人スタッフが洗剤で米を洗っている。水加減を指の関節で測る光景も目にした。こうした炊き方では、本来の味を引き出せない。そこで、ひらめいた。

「米じゃない。“ごはん”を持っていこう!」

翌日から、則竹は日本人スタッフと共に、炊飯器を2台抱えて街に出た。ミネラルウォーターで炊いたごはんを店先で茶碗によそう。日本人シェフが箸を運び、一口。一瞬の沈黙のあと、表情が変わった。

「……うまい。これ、どうやって炊いてる?」

こうして「炊飯サポート」が始まった。店ごとに炊飯器のクセを見極め、火力や水量を細かく調整する。炊き方を紙にまとめ、専用のマニュアルとして手渡した。

やがて、街にこんな噂が広がった。

「炊飯器を抱えて歩く日本人がいる」

その営業スタイルを面白がり、米の味にも惹かれて、取引を始める飲食店が少しずつ増えていった。

追い風に乗り、業界首位へ

2015年、「とんかつ和幸」のタイ進出が、日本米市場に新しい風を吹き込んだ。炊きたての艶やかな米を窯で提供するスタイルが、日本米特有の粘りと甘みを印象づけた。タイ人富裕層を中心に、「高い米」から「おいしい米」へと、日本米のイメージは引き上げられていく。