だが、集められたタイ人農家の表情は険しい。

「よそ者が何しに来た?」

彼らは過去にも、地元の精米会社から「日本米は儲かる」と委託の話を持ちかけられていた。だが契約後に技術支援はなく、出来が悪ければ半値で買い叩かれる。不信感は募り、則竹の話には誰も耳を貸さなかった。

ひとりの農家が、突き刺すような視線を向ける。

「どうせ、あとで値段を下げるんだろ?」

ミーティングの席で、則竹は何度も頭を下げた。

「疑われるのはもっともです。でもどうか、騙されたと思って、一度だけ手を貸してほしい」

沈黙が落ちた。やがて、数人が渋々うなずいた。

ミーティングの会場に炊いた米を持ち込み、「この味を一緒に作りたい」と語りかけることも
写真提供=則竹さん
ミーティングの会場に炊いた米を持ち込み、「この味を一緒に作りたい」と語りかけることも

農家を縛る「負のスパイラル」

「米なんて、植えて収穫を待つだけさ」

タイ人農家と付き合うなかで、則竹はそんな言葉を何度も耳にした。田んぼを見回すと、肥料は必要最低限。害虫対策も、被害が出てからでないと動かない。「肥料の栄養バランスを見直そう」と提案してみても、「金がかかる」と面倒そうに首を横に振る。

彼らに先を見通す余裕はなかった。田んぼでは数十年前の古い慣習が続き、収量は伸び悩んで赤字続き。取引の条件を決めるのは精米所で、農家に選択肢はほとんどない。目の前の作付けをこなし、今日を食いつなぐだけで精一杯。則竹は悟った。

「このままでは良い米は作れない。農家を追い詰める構造そのものを変えなくては……」

そこで、農家の収入構造を見直すことから始めた。ミーティングの場で、条件を一つずつ説明していく。

「皆さんが収穫した日本米の価格は、タイ米の相場に連動させます。契約分はすべて買い取るので、ご安心ください」

また肥料代は則竹側が立て替え、使った分だけを後から精算する「後払い制」を提示した。当初は「信用できない」という声が大半だったが、則竹は引かなかった。

「あんたのおかげで生活が楽になったよ」

やがて、半信半疑ながらも数軒の農家が手を上げ、日本式の米づくりが始まった。当初、現場からは「面倒だ」「こんなやり方で本当に売れるのか」という不満の声が上がった。だが収穫期を迎え、代金が振り込まれた瞬間、空気は一変した。

「新しいテレビを買った」
「冷蔵庫を買い替えた」

そんな報告が次々に届くようになる。招かれて酒を酌み交わす席では、「あんたのおかげで生活が楽になったよ」と農家たちの笑顔がこぼれた。

一度信頼を得た農家は、村の“発信源”になった。噂は人づてに広がり、米作りの参加者は少しずつ増えていく。その光景を前に、則竹は確かな手応えを感じていた。

タイでは条件がそろえば、年に2度の収穫ができる。初回のテスト栽培は、思うような味も収量も出なかった。だが半年後、肥料設計や水管理を見直した2度目の収穫で、ようやく則竹自身が「出せる」と思える水準に届いた。

ある日、精米を委託していた工場の一角に農家たちを招き、試食会を開いた。テーブルに並んだ茶碗に、ごはんがよそわれる。ひとり、またひとりと箸を運び、やがてある農家が箸を置いた。俯いた肩が、小さく震えている。

「俺の田んぼで、こんな米ができるのか……」

その光景を前に、則竹は確信した。

――この米なら、いける。

30歳、タイで精米卸業を起こす

事業を本格化させるにあたり、則竹は当初、ブンロードとの合弁会社設立を視野に入れていた。だが、則竹が賭けたかったのは米づくりそのもの。一方のブンロードが見据えていたのは、レトルトなど加工分野の拡大だった。協議の末に合弁は見送られ、それぞれが自らの構想を追う道を選んだ。