次男との別れ

2021年1月14日の朝、61歳の木梨さんは、次男が呼吸不全を起こしているのを見つけた。

すぐに救急車を呼ぶと、

「おひとり、どちらかお乗りください」

と救急隊員に言われる。

59歳の妻が認知症であることを話し、

「病院名を教えてください。急いで後を追います」

と伝え、妻と2人、自分の車で後を追い、息子たちに連絡を取った。

夕方、他界前の前兆である下顎呼吸が始まったが、再延命は断った。次男は27歳で亡くなった。

「よく『障害のある子を育てるのは大変だね。頑張ってるね』と声をかけられましたが、私たちは一度も『不幸だ』と思ったことはありません。次男がいたからこそ、他人には見えない幸せがたくさんあった。だからこそこの悲しみは、六十余年の人生の中でもっとも深く重いものでした。それは妻も同じだったと思います」

木梨さんは喪主としての務めに追われ、妻のことを十分に気遣えなかった。妻は通夜・葬儀の間、取り乱さなかったばかりか、大声で泣くこともなかった。

「認知症という病気が、悲しみを少し和らげているのではないか?」

木梨さんは漠然とそう思っていたが、それが間違いだということに否応なく気付かされる。

妻の認知症は、この後一気に悪化したからだ。

手に負えなくなった妻

次男の他界後、木梨さんも妻も無気力状態が続いた。

しかし3カ月が経とうとしていた頃のこと。妻は不穏が強くなっていき、理由もなく木梨さんに怒り出すように。不穏とは、介護業界で「行動が活発になり、落ち着きがない状態」のこと指し、せん妄などさまざまな原因で生じると言われる。

「もう限界です」

深夜になっても怒りが収まらず、何度も掴み掛かってくる妻と取っ組み合いになった日の翌朝、くたくたになった木梨さんは、在宅介護と週5日間の通所に限界を感じ、包括支援センターに電話していた。

「今、奥様はどんな状態ですか? すぐに医療機関の援助を受けましょう! 医療保護入院の受け入れ態勢を整えますので、電話を切ってお待ちください」

状況を察した看護師はこう言ってくれたが、待っている間に木梨さんは冷静になってくる。

「医療保護入院とは何だろう。認知症で入院なんてあるのだろうか?」

そんな疑問の中、電話が鳴る。

「受け入れ先が見つかりました。救急で病院に行きましょう!」

日は西に傾いていた。ほどなくしてインターホンが鳴る。木梨さんは状況変化のスピードに理解が追いつかず、戸惑う。その様子を察した看護師は言った。

「ご主人だけの介護では限界を超えています。自宅にいながら『帰る』と言う様子から考えると、奥様はご主人のことをわからなくなっていますよ。奥様もつらいでしょうから、迷ってはいけません」

救急搬送されている患者
写真=iStock.com/SetsukoN
※写真はイメージです

しかし受け入れ先の病院に到着し、当直の精神科医師の説明を聞くうちにその迷いは大きくなった。木梨さんが電話したため、三男は職場からタクシーで病院に駆けつけてくれていた。妻の介護が始まってから、「息子がいてくれて心強い」と感じたのはこの時が初めてだった。医師は淡々と説明した。