身体の中でカチッと音が鳴った
手塚治虫の漫画『ブラックジャック』に憧れていた竹政は、医師になるとすれば外科医と決めていた。最終学年である6年生のとき、国立大阪病院(現・国立病院機構大阪医療センター)へ手術見学に行った。そこで人生の師となる男に会う。
「6年生というのは医学のことは何も分かっていない。そんな自分でも吉川(宣輝)先生のメスのさばき方、手の動き、場をコントロールする雰囲気は別次元でした」
これこそ自分がやりたかったことだと、身体の中でカチッと音が鳴った気がしたという。国立大阪病院の外科は大阪大学医学部の関連病院だった。そこで大阪大学第二外科に入局。そこから医療の道にのめり込んで行く。
大腸がんの開腹手術では、執刀医がメスで切り、助手が電子メスで止血していく。最初のうち「お前の指(の動き)が遅いから赤血球が10個こぼれた」と叱られたという。
見えるはずないだろうと心の中で叫びながら、必死で吉川についていくしかなかった。やがて吉川の術式を研究し、先回りができるようになった。
「ぼくの身体には吉川先生の考えが染みついています。しがみついて教わって良かったと今でも思います」
「腹腔鏡手術できないね」と言われて
その後、秋田赤十字病院消化器センターに移り、「内視鏡の神様」と称された工藤進英の下についた。外科医も内視鏡の手技を習得したほうがいい。そのため工藤の技術を学びたいと考えたのだ。
一年後、大阪大学大学院に入学。論文を書き上げると奈良先端科学技術大学院大学に国内留学した。ここでヒトゲノム解析研究を牽引していた分子生物学者、松原謙一の教えを受けた。
2004年、大阪大学大学院の消化器外科に臨床医として戻ると、手術現場の景色が一変していた。腹腔鏡手術が主流となっていたのだ。腹腔鏡手術とは、腹部に直径5〜10ミリ程度の小さな穴を5つ開けて、手術器具と腹腔鏡というカメラを入れて行う。
「それまでは偉大な外科医ほど大きな切開をする、と言われていました。腹腔鏡手術はその逆でした。ぼくは最初、腹腔鏡を受け入れられませんでした」
開腹手術の技術に自信があったことが裏目に出たのだ。ある日、後輩から「竹政先輩は全然腹腔鏡手術できないね」と陰口をたたかれていることを知り、じゃあ、やってやろうじゃないかと奮起した。
竹政らしいのは、探究を積み重ねて周囲に追いつくだけでなく、さらに先へと進んだことだ。2009年、世界で初めて大腸がんの切除手術を腹腔鏡の単孔式で行なっている。
単孔式とは、通常5つの穴を開けて行う手術を1つの穴で行う術式だ。
「傷は小さければ小さいほど身体への負担が少ない。5つ開けるよりも1つのほうがいいという当たり前の考えです。当然、自由度は少なくなります。術中に合併症が起こる主たる原因は出血。狭い中、どうしたら血が出ないかを徹底的に考えなければならない」

