学校を舞台にしたクイズ番組がウケるワケ

また、「大きな物語」なき時代のクイズ番組がとったもうひとつの有効なアプローチに、「学校」というモチーフの採用があります。

人々が多様なライフスタイルに基づき、それぞれまったく違う「小さな物語」を生きるようになったとしても、ほとんどの日本人はおおむね等質の学校教育を経験します。

小中と9年間の義務教育があるのに加え、現在では高校進学率は98%を超え、高等教育機関(大学・短大・高専・専門学校)への進学率も87.3%に上ります。

みなが同じ雑誌を読み、同じテレビ番組を見ている時代が終わったとしても、学校に行き、授業を受け、宿題に悩まされる……といった経験は、普遍的なものとして共有されています。

クイズと学校のモチーフは相性がよく、「先生」「生徒」という役割分担は、1949年放送開始の「とんち教室」の時代から活用されてきました。大学のゼミを模した「クイズ面白ゼミナール」(NHK、1981年~1988年)もこの系譜にあります。

アナウンサーの鈴木健二が「主任教授」を務めた「クイズ面白ゼミナール」は国民的な人気番組となり、1982年9月12日の放送回では最高視聴率42.2%を記録しました。

「ゼミナール」というとおりモチーフこそ大学でしたが、毎回小学校の教科書が中心の「教科書クイズ」が出題されるなど、専門的な知識ばかりが扱われたわけではありませんでした。

日本の高校の教室
写真=iStock.com/ferrantraite
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中学受験ブームに乗った「平成教育委員会」

昭和末期に親しまれた「クイズ面白ゼミナール」ののち、1991年には「平成教育委員会」(フジテレビ系列、1991年~1997年)の放送が始まります。

この番組ではビートたけしが「先生」、アナウンサーの逸見政孝が「学級委員長」を務め、生徒役の芸能人が私立中学校の入試問題などに挑戦しました。

当時の公務員試験対策本を見てみると、判断推理・数的推理について「クイズ番組(「平成教育委員会」など)を活用して効率的に勉強してください」と紹介されており、バラエティ番組でありながら、大人の勉強にも役立つような内容であったことがわかります。

こうした番組が生まれた背景には、1990年頃に起きた中学受験ブームがあります。

1989年に改訂された学習指導要領では、知識よりも意欲と関心を重視する「新学力観」が示され、公立中学校では「偏差値追放」(偏差値に基づく進路指導や業者によるテストの禁止など)の運動が起きていました。

詰め込み学習の反省から新しい学びのあり方を模索したがゆえの取り組みでしたが、こういった動きに不安を抱く保護者たちによって、首都圏を中心に私立中学入試を目指すこどもがかえって急増しました。

1988年にのべ15万人だった首都圏の受験者数は、1989年に17万人、1990年に20万人を記録します。1987年以降、中学生の総数は減少に転じており、人口減のなかで受験者数は急増していきました。