シェルターがあっても食料がない
日本の安全保障の議論は軍事的な側面に力点が置かれすぎていはしないだろうか。
政府は3月31日に、他国から武力攻撃を受けた際に住民が避難する「シェルター」確保について、2030年までに市区町村単位の人口カバー率100%を目標とするという基本方針を閣議決定した。
しかし、シェルターがあっても、食料がなければそれ以前の問題だ。
それにどう備えるのかの議論はほとんど聞こえてこないのが現実だ。
その背景には、積極財政と言いながら、農業予算については相変わらず削減対象としか見ていない財政当局の発想がある。アメリカから武器を買う予算を捻出するために、農業予算が削られている。その状況がますます強化されようとしている。
こんな政策が続けば「令和飢饉」の発生は避けられないだろう。
一人ひとりがやるしかない
政府が何もしないなら、国民一人ひとりがやれることをやるしかない。この状況を変えられるとしたら、それは農家だけでなく、国民一人ひとりの行動であろう。
一人ひとりが、自分でも野菜を育てたり、流通を担ったりすることで、国の応援がなくとも、食料生産を増やしていくことができるはずだ。
これを私は佐伯康人さんの言葉をお借りして「飢えるか、植えるか」運動と呼んでいる。
こうした運動は一人では心もとないが、草の根レベルからひろがっていけば、大きな動きとなるだろう。小谷あゆみさんにならい「ローカル自給圏」と呼んでいるが、そうした動きが続々と起こっている。
筆者の講演会に参加したのを契機に、地元の市民グループが決起して、耕作放棄地を再生する活動をはじめた、といったお話をたくさん伺っている。希望の芽は確実に広がっている。
いざというときに、シェルターに隠れながらも食べるものがなくて餓死する、といった状況はあってはならない。「令和飢饉」を食い止めるために、いまこそ一人ひとりの覚悟が求められると言えるだろう。

