真の目的は「社会を救うこと」
ところが改革派だけは違う。「社会が罪に満ちているなら、社会を変えろ」というのである。学校をつくり、孤児院をつくる。しかしその目的は「社会を救うこと」であって、貧しい人や弱者と「一緒にいること」ではない。ようは、正しい側のエリートが、正しい設計図に基づいて、間違った社会を造り変える。後の時代に和も関わった廃娼運動、禁酒運動、婦人参政権のベースはすべてこれである。
明治時代になって、アメリカから本格的に上陸したこの宣教は、日本で一大ブームとなった。なぜなら、新しい時代から弾かれた人間にとって、これほど都合のいい思想はなかったからだ。
社会の変化についていけずくすぶっている旧支配層――彼らの怒りと屈辱の行き場が、改革派プロテスタントにはあった。
「社会が悪い」
「社会を変えなければならない」
これは、社会的に敗者側となった人間が「自分のせいではなく、社会の構造が間違っているからだ」と言い換えられる神学である。しかも欧米という「正しい側」のお墨付きつきで。
大関和にあった「救う側」「導く側」の視点
大関和も鈴木雅も、時代の波にのまれ没落した武士階級の娘である。二人ともシングルマザーになってプロテスタントに出会った。個人の「くっそー」が、舶来の正義のフレームワークに乗った瞬間、社会運動になった。
和なんかは典型例である。和の心中を想像するなら「世が世なら家老のお姫様の私が‼ 意に沿わぬ男と結婚させられ、離縁させられ、子供も抱えて苦労してる‼ 世の中がおかしいからだ、このやろう‼」という怨念が渦巻いている。
現代ならば、X(旧Twitter)で社会批判を書き連ねるところだったが、和は植村と出会ったことで「なに? 社会が悪い? そうか、この教えで無知蒙昧なヤツらを導くのが私の使命だったのだ」と上流階級の承認欲求を満たす道を見つけたのである。
それが、和が看護婦になったすべてであろう。後世の評価で語られるフェミニズム的な解釈は、この点をまったくスルーしている。
和の「自分は救う側、導く側、上流階級」という士族特有の意識を示すエピソードは記録にも残っている。それは和も設立に貢献した廃娼運動、禁酒運動を行う「婦人矯風会」が設立された時のことである。
この時、矯風会では歌舞伎座を借りて役者に芝居をやって貰い、資金を集める話がまとまっていた。ところが、いざ切符を売る段階になって和が待ったをかけた。和は「矯風会ともあろうものが役者などを使っては面目を潰す」というのである。この時、和は現代では決して看過できない差別用語を使って俳優を見下し、そのようなものを矯風会に関わらせてはいけないと反対したことが記されている(『サンデー』128号、サンデー社)。

