「ドレス姿でスラム」はあり得ない
だいたい、リアルにこの時代に捨松のような上流階級の婦人たちがドレス姿でスラムに「おにぎりですよ〜」とやってきたらどうなるか? ……少なくとも身ぐるみはがされてしまうことは避けられない。
別に無茶を書いているわけではない。この頃時代の変化の中で社会からはじき出された人々は、都市に集住し東京のあちこちにはスラムが形成されるようになっていた。「国民新聞」の記者だった松原岩五郎は、身分を隠してスラムを探訪し新聞紙上で発表、1893年にこれをまとめた『最暗黒之東京』が出版されている。
松原はスラムの住人が「残飯屋」から食事を調達している実態も記録している。残飯屋とは、料亭や軍隊の残り物を買い集めて、それを売る商売である。衛生状態は推して知るべしだが、それでも需要はあった。食えない人間が食えるギリギリの仕組みが、すでに市場として成立していたのだ。その現場に、ドレス姿の上流婦人が「おにぎりですよ〜」と乗り込んでくる……スラムの経済システムの破壊である。
史実の捨松に“失礼”、諭したのは牧師の植村正久
そんな『最暗黒之東京』には、こんな一文もある。
彼の貧民救助を唱えて音楽を鳴らす処の人、亦は慈恵を名目として幟を樹つる所の尊き人々等の常に道徳を語り又慈善を為す事の其れらが必ずしも道徳、慈善であらぬかを見るであろう(松原岩五郎『最暗黒之東京』民友社、1893年)。
(貧民救済を叫びながら鳴り物で人を集める者や、慈悲を名目にして旗を振り回すような『お立派な』方々。彼らが口にする道徳や行っている慈善が、実は偽善や売名に過ぎないのではないかという真実を、あなたたちは思い知ることになるだろう)
こうしてみると、捨松はまだマシだった。現場には来ないが、カネはちゃんと出す。スラムの人々をいらだたせるようなパフォーマンスもしない。前述の松原が批判した「鳴り物で人を集める」連中とは一線を画している。つまり、ドラマが捨松にやらせていることは、史実の捨松にだいぶ失礼ということだろう。
さて、ドラマでは、そんな捨松に諭されてトレインドナースになる決意をした、りんと直美。実際に、りんのモチーフである大関和に「お前は看護婦になれ‼」といったのは、吉江のモチーフである牧師……史実では炊き出しなどしていない植村正久である。

