大関和「看護婦になる=屈辱」と思っていた
ここで、重要なのは和が看護婦になった理由は、病人を救いたいわけでも貧しい人を助けたいわけでもなかったことだ。
和は、自分が看護婦になった経緯を、キリスト教に感銘を受け植村の内弟子になったことから語り始めている。そして、看護婦になれといいだしたのは、植村であるとはっきり語っている。
大関和は、看護婦になることを最初、屈辱だと思っていた。没落したとはいえ武士の娘が、なぜ病人の世話などしなければならないのか。「祖先の家名に対しても済まぬ」これが偽らざる第一反応だった。
それを植村は説得した。しかし、それは別に病気に苦しむ人や貧しい人、はたまたナイチンゲールの感動的な話をしたわけでもない。植村の説得はこうだった。
牧師はそれはいけない、名誉を望むのは一の罪悪であって、我々信者は唯神の前に善をなすと云ふのが第一の勤めである。世間が卑しめやうと譏らうと、神の前に善しとせらるる所はせねばならぬ……(大関和子「献身の覚悟で看護婦となる」『婦人之友』7巻11号)
「病人を介抱するは、即ち十字架上のキリストを介抱するのである」
ようは植村は和に向かって「お前は最初からダメだ、全部罪に汚染されている。だから神の前にひれ伏せ、ひれ伏して看護婦にならないと救われないぞ」と言ってるのである。いくら牧師と内弟子との会話だとしても、めちゃくちゃハードコアである。
困った和は築地六番神学校の神学生だった従弟に相談。すると従弟も植村のすすめは「神のみこころ」のように思うというので和も「神の命じ給ふ所ならばなんでもやろう」「不幸な病人を介抱するは、即ち十字架上のキリストを介抱するのである」と腹をくくったと回想している。
ようは別に貧しい人や病に苦しむ人を見て……というわけではない。それでも、まあ宗教色があるとはいえ美しい話にみえる。でも、実態はまったくそんなことはない。
そもそも、別段看護婦になれと勧めている植村をしても、病人や貧しい人の手を取って助けようなんて、意識は希薄だ。
植村正久という人物は、明治のプロテスタント界の巨人である。その植村の信仰は、キリスト教の中でもアメリカのオランダ改革派教会である。これはキリスト教の歴史の中でもかなり特殊な教義である。ほかのキリスト教、カトリックや正教会、ルター派からみれば「なんかキリスト教を名乗ってる新宗教」ともいえる。
その特徴は、救済の主眼を個人ではなく社会におくところ。キリスト教でも、カトリックは「善行を積んで天国へ」、正教会は「神秘に与って魂を救え」、ルター派は「信仰のみで赦される」など、どれも基本的に個人の話である。
