必要なのは「国産切り替え」ではない

ここで誤解してはいけないのは、経済安全保障がそのまま「すべて国産化せよ」という話ではないことだ。コーヒー豆も衣料品も、すべて国内で賄う必要はない。平時に国際分業を使い、安く調達すること自体は合理的である。

だが、医療、交通、廃棄物処理、食品包装、基礎化学品のように、止まった瞬間に社会全体へ波及する分野は別だ。そこでは「安ければいい」より、「切れても切り替えられる」「有事に増やせる」「国内か友好国で最低限は回せる」ことのほうがはるかに重要になる。

必要なのは全面的な国産化ではない。第一に、どの原料と中間材が国家機能に直結するのかを、石油そのものだけでなく川中・川下まで含めて洗い出すこと。第二に、中東以外の調達先を平時から増やし、船舶、保険、港湾まで含む実動計画を整えること。第三に、採算だけで切ってはいけない国内の最低限の製油・石化・補修能力を残すこと。第四に、有事には何を優先供給するのかを官民で事前に決めておくことだ。

危機対応は、その場の根性論では回らない。平時にどれだけ非効率に見えても、「戻せる」「回せる」「つなげられる」能力を薄くても残しておくことが、国家の強さになる。

工場夜景
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「平常運転」を貫けるのか

多くの国民が「物価はいつ戻るのか」と問うのは当然である。原油が落ち着けば、ガソリンや石化製品の値上がり圧力も、いずれ和らぐかもしれない。だが、その問いだけで危機を測ると、本質を見失う。

高市首相は4月7日の会見で、日本全体として必要な量は確保されており、ナフサ由来の化学製品や医療関連物資、食品包装用容器、ごみ袋、半導体関連物資についても、継続供給可能な期間を把握したうえで、在庫活用や国内外での製造拡大・継続などの対策を進めていると説明した。

さらに政府は、一部で供給の偏りや流通の目詰まりが生じていることも認めている。政府が安定供給に手を打っていること自体は確かである。だが、その視点では不十分である。政府が示す「確保量」や「在庫月数」は安心材料にはなっても、それだけでは十分ではない。危機管理で本当に問われるのは、総量ではなく、社会の末端まで供給を平時どおり接続できるかどうかである。