大柄の力士以上の巨漢に見える

浅井長政とはどんな人物だったのか。肖像画を見るかぎりまちがいなさそうなのは、大男だったということである。長政の肖像画は2つ残されており、より有名なのは高野山持明院に伝わるもので、長政が小谷城内で自刃してからの十七回忌に描かれたものだという。肩幅が広く、恰幅がかなりよく、月代さかやきが大きく剃り上げられて、二重あごが特徴的だ。

これより生前の記憶があたらしい時期に描かれたのが、長政の一周忌に浅井家の菩提寺だった徳勝寺の住職、源秀が描かせたという肖像画で、持明院のものよりいっそうふくよかで、まるで大柄な力士か、それ以上の巨漢にしか見えない。2つの肖像画が、かなりふくよかな容貌という点で共通している以上、長政が細身だったはずはないと考えていい。

浅井長政像(長浜城歴史博物館蔵)
浅井長政像(長浜城歴史博物館蔵)(写真=PD-Japan/Wikimedia Commons

ただ、身長や体重に関する記録はないが、長政の姉だとされ、小谷城から逃れた長政と市の3人の娘をしばらく養育したと伝わる見久尼は、身の丈が5尺8寸(約176センチ)、目方が28貫(約105キロ)だったと伝わる。

男性の長政は、これより1回りは大きかったのではないだろうか。長政の娘の茶々が産んだ、すなわち長政の孫の豊臣秀頼は、身の丈6尺6寸(約197センチ)、目方43貫(161キロ)と伝わるから(『明良洪範』)、長政の遺伝かもしれない。

細身のイケメンはウソ

さて、信長はどうだったといえば、ルイス・フロイス『日本史』によれば〈中くらいの背丈で、華奢な体躯〉(松田毅一・川崎桃太訳)だったというから、長政と相撲などとったら最後、信長は勝てないどころか、押しつぶされてしまっただろう。

歴史ドラマや映画で描かれる浅井長政は、たいてい細身のイケメンと相場が決まっており、「豊臣兄弟!」の中島歩も、その流れを踏襲している。江戸時代に書かれた『祖父物語』などで「天下一の美人」と讃えられた市の夫で、信長がかわいい弟に裏切られる、ということから、釣り合いをとるためにそういう設定になったと思われるが、それはここ何十年かでつくられたイメージにすぎない。

浅井長政夫人(お市の方)の肖像画(「浅井長政夫人像」)
浅井長政夫人(お市の方)の肖像画(「浅井長政夫人像」)(画像=高野山持明院蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

では、長政はなぜ義兄の信長を裏切ったのだろうか。その理由は、これまで概ね次のように説明されてきた。浅井と朝倉はかなり以前から同盟関係を結んでいて、同盟相手の朝倉を織田が攻める以上、浅井は朝倉につくしかなかった――。だが近年は、浅井が朝倉と事実上の同盟関係を結んだのは、織田と同盟を結んだのとほぼ同時期だったと考えられている。

だから、長政は「豊臣兄弟!」のように、かなり迷ったにちがいない。その末に、朝倉を選んだのはなぜだろうか。