史料に残る信長の「ウソに違いない」
史料として信頼度が高い太田牛一の『信長公記』には、次のように書かれている。
〈木目峠打ち越し、国中御乱入なすべきのところ、江北浅井備前、手の反覆の由、追々、其の注進候。然れども、浅井は歴然御縁者たるの上、剰へ、江北一円に仰せ付けらるるの間、不足あるべからざる条、虚説たるべしと、おぼしめし候ところ、方々より事実の注進候〉
(木目峠を越え、越前中央部に進攻するはずが、北近江の浅井備前守長政が離反したという情報が次々と寄せられた。しかし、浅井はれっきとした縁者で、そのうえ北近江一帯の支配を許していたのだから、ウソに違いない、と信長は思ったが、方々より事実だという情報が寄せられた)
浅井長政の裏切りが伝えられたのは、おそらく4月28日で、信長も木下藤吉郎らも命からがら退却するのだが、それから2カ月以上経って、信長自身が毛利元就に送った7月10日付覚書にも、浅井長政についてこう書いている。
〈近年別て家来せしむるの条、深重隔心無く候き、不慮の趣是非無き題目に候事〉
(近年、自分の家来にして、心隔たりなく付き合ってきたのに、思いがけず理不尽な結果になってしまった)
心隔たりなく付き合ってきた義弟が「まさか、ウソだろ‼」というのが、信長の偽らざる気持ちだったことがわかる。
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