自分たちで遊び、創作し、点数をつける
信念や記憶もすべてがその場でのでっち上げだなどと言われては、何を信じたらいいのか分からなくなりますが、心配はないようです。チェイター教授は、その点を人格形成の歴史ということから説明しています。
教授によれば、人格とはその人独自の過去の経験、思考や言動の積み重ねの歴史で、その歴史の中で人は常に自分自身を作り、また作り直している。社会や文化も、そのような作業の中で作り出されている。
そして、「何を行い、何を欲し、何を言い、何を考えるのかという前例が共有されることで、個人においてのみならず、社会の中に秩序が創り出されるのだ。(中略)そして新たに作った前例というのは古い共有された前例に基づいているのだから、文化のほうも私たちを創り出している。(中略)驚くほど安定し整然とした暮らしや組織や社会を構築している」というのです。
そして、話はそこで終わりません。社会や文化が驚くほど安定しているといっても「私たちがその上に建物を築くことのできる強固な基礎というのは、結局のところ存在しない。(中略)過去の前例の数々という伝統の枠内で(中略)私たちの生き方と社会を構築するのは、本来的に終わりのない、創造的な過程であることを意味する。
何をもって自分の意思決定や行動の基準とするかということ自体も、その同じ創造的過程の一部なのだ。つまり人生とは自分たちで遊び、自分たちでルールを創作し、点数をつけるのも自分たちであるようなゲームなのだ」というのです。
そのように言うチェイター教授が重視するのが、想像の飛躍であり比喩です。私たちは、「驚異的なまでに創作力のある臨機応変の推論者、そして創造的な比喩機械」で、言語には、その比喩がしみ込んでいて想像力をどこまでも広げていく機能がある。それが人間の進化につながっているというのです。
日本語は音声が無力な、きわめて特殊な言語
比喩がしみ込んでいて想像力をどこまでも広げていくという点に関しては、同音異義語の多い日本語は、音声が特定の意味を限定しないことによって大きな想像の飛躍を可能にしている言語です。
中国文学者の高島俊男氏によれば、同音異義語が多く文字の裏付けがなければ音声だけでは意味を特定しえないという点で、日本語は音声が無力な、「世界でおそらくただ一つの、きわめて特殊な言語」だといいます。
仮名の創造が、本来意味を持っていた漢字という文字から意味を取り去って、音声が無力な「世界でおそらくただ一つの、きわめて特殊な言語」を創り出したのです。それは、漢字が本来持っていた意味から脱却することによって、創造性の発揮の究極の姿である「ウソ」の世界を自由に創り出すことを可能にしたということです。
仮名とは、漢字が真名(マナ)とされたのに対するものです。「仮」の中国語の元の意味は「偽(にせもの)」です。「にせもの」とは「ウソ」ということです。例えば、「仮病」は「ウソ」の病気です。そんなものですから、新たに勝手に創り出しても誰にも文句を言われません。
そこで、江戸時代までは様々な漢字からたくさんの変体仮名が創り出され、その数は322種類にも上っていたといいます。
変体仮名には、書きやすく、また美しく見えるようにということで様々な「くずし字」が工夫され、状況に応じて選択されました。そのような変体仮名は、それ自体が美術品で、様々な工芸品に登場してきました。
そのように、本物にこだわらず、「偽(にせもの)」を大切にする文化から、動物を人間に擬した鳥獣戯画や、秘所をそのものの寸法以上に大きく描いた枕絵などの日本独特の美術が生まれてきたのです。

