親に勧められたレールに乗るほうがラク
お母さん、行ってきて。その意味がすぐにはわからなかった。それでも私以外の親たちは、すっかり飲み込めている様子だ。
「そういうお子さんも結構いらっしゃるって聞きますよ。自分でお相手探しをするのはいろいろ迷うし、直接お断りされたりすると傷つきますものね。親が交渉役になれば先方のお人柄やご事情もわかりやすいし、親に勧められたレールに乗ってしまったほうが子どもだって楽な面もあるでしょうから」
Tさんの説明でようやく理解できたが、同時に今日一番の驚きと困惑が広がった。子どものほうが親に代理婚活を頼む、レールに乗ったほうが楽、そしてそういう子どもが結構いるとは思いもしなかった。
子どもといっても30代や40代のいいおとなだ。親の代理婚活に反対したり、嫌悪感を持ったりしてもおかしくない。渋々ながら応じるようなケースはあるにせよ、「行ってきて」と親に委ねるとは私の理解を超えてしまう。
「お嬢さんとお母さんの関係はいいですねぇ。お相手のリストや身上書を一緒に見て、相談するっていうじゃないですか。お見合いが決まったときもお母さんが同行する方は多いって聞きますしね。ウチみたいに男同士じゃむずかしい、せめて家内がいてくれたらって思うんですよ」
なんら疑問など含まない、むしろ羨むような口調でYさんが言った。
代理婚活というより「親主導婚活」
親子一緒に、親子で相談、親が同行――、まるで「お受験」のような言葉が並ぶが、つまりは代理婚活も似たようなものだろうか。あれこれと子どもの世話を焼き、共闘し、一緒に喜んだり落ち込んだりしながら結婚という名の合格を目指す。うまくいかない、むずかしいと嘆きつつ、一連の努力が生きがいになっている気配さえ感じた。
そもそも「やるだけやってダメならしょうがない」とか、「やれるうちはやらなきゃ」とか、その言葉が誰に向けられているかと言えば我が子ではなく自分なのだ。息子が婚活したけどダメだったから仕方ない、娘がやれるうちはやってほしいではなく、もしも自分の納得や満足を求めているのだとすれば、代理婚活というより親主導婚活と言ったほうが正確かもしれない。
「そろそろお開きにしましょうか」
Yさんの発声で時計を確認すると、すでに2時間近くが過ぎていた。慌ただしく伝票を確認し、「お会計もタブレット?」、「自分の代金だけ払うってどうするのかしら?」、そんな会話とともにレジでの個別精算を済ませファミリーレストランをあとにした。別れ際、母親同士が「お話しできて楽しかったです」、「また会いましょう」と月並みな挨拶を交わすと、Yさんが割って入った。
「次回なんてないに越したことはありませんよ。誰かとのご縁がまとまれば、もう交流会に来ないでしょ?」
その言葉どおり、もう交流会に来なくて済むのならいいだろうが、少なくとも私は「誰かとのご縁がまとまる」予感はしなかった。そしてそういう現実がつづいたとき、私もまたやれるうちはやらなきゃと、代理婚活を生きがいにするのかもしれなかった。


