※本稿は、栗下直也『偉人たちの酔っぱらい流儀』(平凡社)の一部を再編集したものです。
田中角栄の「二度と酒を飲みたくない男」
世の中には「酒を飲むと人が変わる」人間がいる。普段は温厚なのに酒が入ると暴れる。普段は無口なのに酒が入ると饒舌になる。いずれも迷惑だが、珍しくはない。
だが、「シラフでも厄介、酔っても厄介」と、どちらに転んでも救いがない人間となると、そう多くはない。
しかも、それが東京帝国大学法学部首席、日本国総理大臣となると、もはや奇跡的な存在といえよう。
シラフでは相手の学歴を馬鹿にし、毒舌で場を凍らせる。かといって酒を飲めば、今度はぐでんぐでんに酔っ払って、お付きの者に抱えられて帰る。
「それならば、ほろ酔いくらいがちょうどいいのでは」と思うかもしれないが、残念ながらそんな都合のいい中間地点は存在しない。なぜなら、酔うまでは延々と絡み続け、ある時点を境に急激に泥酔状態に突入するからだ。
この「飲まなくても飲んでも厄介」という、まるで禅問答のような人物こそ、宮澤喜一である。田中角栄に「二度と酒を飲みたくない」といわせ、家族に水をぶっかけられ、それでいて総理大臣にまでなった男。
その生涯は、「適量」という概念が存在しない人間でも日本のトップに立てることを証明した、ある意味で希望に満ち溢れた物語でもある。
エリート・宮澤喜一は露骨に人を見下した
宮澤喜一は官僚出身のバリバリのエリートだった。東京帝大法学部を首席で卒業し、大蔵省(現財務省)に入る。
これだけでも凄いが、高等文官任用試験(今の国家公務員総合職試験)で、行政科と外交科の両方に合格している。
エリートが門を叩く大蔵省でも、「大秀才」と呼ばれた。役人としても出世できただろうが、秘書官として仕えた池田勇人の勧めもあり、1953(昭和28)年に政界入りする。33歳だった。
宮澤は頭だけでなく、口も回った。むしろ、回りすぎた。毒舌の部類だ。自分が帝大法学部卒のエリートだったからか、極端な学歴偏重主義で知られた。
東京農業大学出身の金丸信に面と向かって「金丸先生は農大を出ていらっしゃる。そいつはお出来になりますなあ」と皮肉った。
酒を飲んだ席で金丸の活躍が話題になると「ああいう人は水の底に沈んでいただいた方がいいかもしれませんな。山梨には釡無川という深い川があるというじゃないですか」と場を静まらせる発言も珍しくなかった。


