宮澤を慕う人はあまりにも少なかった

早稲田大学出身の竹下登には竹下が入学当時の早稲田が無試験であったことを揶揄した。

竹下は後藤田正晴に「ボクは宮澤さんに『竹下さん、貴方の時代は早稲田の商学部は無試験だったんですってね』といわれた。あれだけは許せない」と恨みを吐き出している。

政治学者の御厨貴は宮澤について「政治判断は正しいものが多かった気がします」としながらも、「頭が良すぎて他者を見下したような態度を取るため、慕う人があまりにも少なかった」と人望の低さを指摘している。

「それいう必要ないだろ」ということをいってしまうのが宮澤なのだ。厄介なのは本人に悪気はないことだ。

教養人でありながら「酒乱」という矛盾

宮澤の教養の深さは多方面にわたっていた。田中角栄に「英語屋」と馬鹿にされるほど語学に堪能だったが、単に語学に長けていただけでない。

欧米の幅広い雑誌に目を通していて、会話に幅も奥行きもあった。欧米カブレなわけでもなかった。多くの人にとっては何が書いてあるかわからないような墨跡もすらすらと読み下した。

その姿は学者で劇作家でもあった山崎正和からみても、まるで曲芸のような業だったという。「どうしてああいう人が政界に入ったのか不思議なくらい」と奇妙な気持ちになったと振り返っている。

だが、山崎を驚かせたのは教養人としての宮澤よりも、酔っ払いとしての宮澤だった。

山崎は宮澤とある会合で幾度となく席を共にした。その会合は京都の大徳寺で開かれていたが、宮澤はその場がよほど好きだったらしい。

首相になってからも激務の合間を縫ってわざわざ京都に出向き参加していた。もちろん、一国の首相だけにふらっと遊びに行けるわけもない。

ぐでんぐでんに酔っては人に絡みまくる

SP(要人警護を任務とする警察官)のみならず、京都府警が総力を挙げて護衛したので、閑静な大徳寺周辺が警護でいっぱいになり、異様な光景が広がった。

異様な光景は寺の中にも広がっていた。宮澤は毎回、ぐでんぐでんに酔っ払って、秘書官に抱えられて帰っていったのだ。

酔っ払って眠る男
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宮澤は造り酒屋の息子ということもあってか、酒には弱くなかった。酒をある程度飲まないと酔わないが、酔うまでは相手に絡み続ける。

ある時点を境に目が据わり、相手が誰彼かまわず演説が始まる。結局、どっちにしろ絡み続けている。「酒豪で酒乱」という最も性質の悪い酒飲みともいえる。

ジャーナリストの立花隆も「酒乱の域に達しないうちは、人にイヤなからみ方をする時間がえんえんとつづく」とかつて記していた。

自民党のドンで懐の深さで知られた田中角栄に「二度と酒を飲みたくない」とまでいわしめているからよほどだったのだろう。