関東大震災の復興で「西洋化」を確信した

イギリス、そして初めてマヨネーズを知ったアメリカで数年間を過ごした中島は、帰国して間もない1919年、東京で「食品工業株式会社」を設立した。中島は、ソース類の製造を開始し、まずまずの成功を収めるようになっていた。ところが1923年9月1日、すべてが一変する。この日、ちょうど正午になろうかというとき、マグニチュード7.9の大地震が日本を襲い、東京と近隣の県に甚大な被害をもたらした。

中島は、その復興のさなか、国が西洋化していくのを目の当たりにした。都市計画を担う人たちにとって、震災後の都市部の再建は超高層ビルなどの西洋式のインフラを導入する絶好の機会だったのだ。

中島には、この洋風化の波が建設分野を超えて広がるという予感があった。女学生の装いが伝統的な袴からセーラー服へ変わっていくのを見て、日本の家庭料理にも変化が訪れ、西洋の調味料やマヨネーズだって使われるようになるだろうと考えた。