赤いキャップとポリボトル容器がトレードマークの「キユーピーマヨネーズ」はどのように誕生し、日本の食卓に広まったのか。キユーピーが監修した『ラブ! キユーピー』(エリス・イナミネ、ジェシー・ユーチェン著、KADOKAWA)より、創業者・中島董一郎の物語をお届けしよう――。
アメリカの調味料「マヨネーズ」に魅了された一人の青年
マヨネーズを初めて口にしたときのことを憶えている人は、そういないだろう。サンドイッチのパンにうっすら塗られた白いペースト。ポテト・卵・チキンサラダの「つなぎ」役。考え抜かれた食材や調理法で作られる料理のシンフォニーの中で、マヨネーズはBGMのようなもの。どんな料理にも合うが、存在を主張することはない。野菜サンドをパクリとやって「お、マヨネーズだ!」と叫ぶ人はいないのだ。
ところが、人生で初めてマヨネーズに遭遇したときのことをはっきりと憶えている人物が、ひとりいた。その人の名は、中島董一郎。中島の初体験は、彼の人生だけでなく、世界中の食卓を変えた。
日本で日本人のためのマヨネーズを作りたい
1900年代初頭、日本では水産缶詰産業が芽吹き始めていた。そんな中、とある缶詰会社に入社したばかりだった中島は、缶詰製造のノウハウをより深く学ぶため、海外実業練習生としてイギリスとアメリカへ渡った。少なくとも、当初の目的はそうだった。
第一次世界大戦の只中、アメリカのある町に滞在していた中島は、あるとき缶詰製造業者が主催する食事会に招かれた。中島は、次から次へと運ばれてくる料理を堪能したが、中でも特に衝撃を受けた一品があったという。それは、缶詰の鮭と細かく刻んだタマネギをマヨネーズで和えたものだった。
中島はこの「初めて見る美味なごちそう」にすっかり魅了されたという。後日、ポテトサラダとも出会い、マヨネーズをたっぷり使ったその食べ物が「味わい深く、安価で、栄養価が高い」ことに感心した。そして、アメリカの料理にはマヨネーズが頻繁に使われていることに気づき、だからこそアメリカ人はこんなにも屈強で健康なのだと考えた。
それならば、私は日本で、日本人のためのマヨネーズを作りたい。その思いを胸に、青年は日本へ帰国したのだった。

