妻を英国籍に入れなかったのは…
だがその時、彼はその妻や子供のことを考えた。既に老いの近づいたヘルンは、自分の死後における妻子の地位を考えた。そして国籍を持たない家族が、財産上にも生命上にも、日本の政府から保護を受け得ないことを考えた。しかもその妻のごとき、純日本的な可憐な女を、彼のいわゆる『野蛮人』である西洋人の社会に、孤独で生活させることの痛ましさは、想像だけでも耐えがたい残忍事だった。だが彼が帰化を決心し、日本の土となることを覚悟した時、言い知れぬ寂しさとやるせなさが、心の底にうずつき迫るのを感じたであろう。それが日本人の抒情的な言葉で、あきらめと呼ばれるものであることさえ、おそらくヘルンは知ったであろう。
東京帝国大学の招聘に応じて、松江や熊本の地を去ったことも、同じくヘルンの身にとっては、愛する妻への献身的な犠牲だった。上陸当初の日に一瞥して嘔吐を催し、現代日本の醜悪面を代表する都会と罵り、世界のどんな汚い俗悪の都市より、もっと殺風景で非芸術的な都市と評した東京は、彼が死んでも住みたくない所であった。
東京に移ったのは妻のためと言った
しかも彼の夫人にとって――世の多くの若い女性と同じく――東京はあこがれの都であり、そこでの生活は一生最高の理想であった。『わたし、フロックコート着る。東京に住む。皆あなたのためです』と、さすがにヘルンも夫人に愚痴をこぼしている。夫人もよくその良人の心を知り、『ヘルンの一生は、皆私や子供のために尽してくれた犠牲でした。勿体ないほどありがたいことでした』と、その追懐談の中で沁々と語っている。

