※本稿は『ちくま日本文学036 萩原朔太郎』(筑摩書房)の一部を再編集したものです。
ハーンは純日本風の住まいを好んだ
ヘルンの生活様式は、全く純日本風であった。彼はいつも和服――特に浴衣を好んだ――を着、畳の上に正坐し、日本の煙管で刻煙草を詰めて吸ってた。食事も米の飯に味噌汁、野菜の漬物や煮魚を食い、夜は二三合の日本酒を晩酌にたしなんだ。(しかし朝はウイスキイを用い、ビフテキも好んで食った。)住居は度々変ったが、純日本風の家を好んで、少しでも洋風を加味したものを嫌った。
日本人の知人を訪問しても、洋風の応接間などに通されると、帰ってからも甚だ不機嫌であった。当時の日本は、文明開化の欧米心酔時代であったので、至るところ、彼はそうした不機嫌の目に逢わされた。日本人は立派な文明を持っていながら好んで野蛮人の真似をしたがると、彼は常に不満を述べていた。『野蛮人』という言葉は、彼の語藻において『西洋人』と同字義であった。
そうしたヘルンの生活は、極めて質素のものであった。彼は学生に向っても、常に奢侈を戒めて質素を説き、生活を簡易化することの利得を説いた。贅沢な暮しをするほど、生活が煩瑣に複雑化して来て、仕事に専念することができなくなるからである。一日二三合の米の飯と、少しばかりの副食物と、二三合の日本酒とさえあれば、それで私の生活は充分であると、その訪問客に語っているヘルンは、実際に学者風の簡易生活をしていたのである。
音がすると「私の考え破れました」
しかし彼の精神生活は、反対に極めてデリケートで贅沢だった。いやしくもその詩興を損い、趣味を害するようなものは――人でも、家具でも、物音でも――絶対にその家庭に入れなかった。書斎に仕事をしている時のヘルンは、周囲のちょっとした物音にも、すぐ『私の考え破れました』といって、腹立しくペンを投げた。夫人はその追想記の中で、箪笥の抽出を開けるにさえも、そッと音を立てぬように気をつけたと書いている。しかしその他の場合では、罪のない笑談を言ったりして、妻や子供の家族を笑わせ、女中までも仲間に入れて、一家団欒の空気を作った。

