※本稿は『ちくま日本文学036 萩原朔太郎』(筑摩書房)の一部を再編集したものです。
「世俗を離れたい」八雲の悲哀
彼(編集部註:小泉八雲)の文学は、本質的に我が『方丈記』や『徒然草』の類いと同じく、仏教的無常観によった『遁世者の文学』であり、ヘルン自身がまた現実の『遁世者』であった。寺の住持になって世を隠遁し、読経と墓掃除に余生を送りたいといった彼の言葉は、決して一時の戯れではなく、彼の心の無限の悲哀を告白した言葉であった。
だがそうした八雲の悲しい心は、常に最も夫人の心を痛ましめた。なぜならそれは、どんな貞淑に行き届いた妻の奉仕も、決して慰めることのできないものであったからだ。しかしもし、現実に八雲が世捨人になったとしたら、おそらくその貞淑な夫人もまた、『その同じ時』比丘尼(編集部註:尼僧)になったかも知れないのである。
こうした悲しい対話――これほどにも悲しい対話があるだろうか――が、いつもこの夫婦の間では、半ば詩のごとく、半ば笑談のようにして語られた。『あなたの鼻高い、あなたの眼大きい』などという時、夫人はいつも指でヘルンの顔を突ついたりして、子供を扱うようにして戯れからかった。その度ごとに、ヘルンはまた『ごめん、ごめん』などと言って笑いふざけた。
そうした外観だけを見ている人は、おそらくこうした夫婦の生活を、たわいもない子供の『ままごと』遊びのように思ったであろう。しかもその対話の中には、いつも人生の最も悲哀な言葉が含まれていた。そしてその悲哀の意味を知ってるものは、世界にただ二人の、妻と良人よりなかったのである。『家のパパとママとは、だれにも解らない不思議な言葉で、だれにも解らない神秘なことを話している』と子供が無邪気に言った言葉は、実際にもっと神秘な意味をもっていたのである。
妻セツとの「特異な夫婦関係」
ヘルン夫妻の結婚は、すべての点において特異であり、世の常の凡俗な夫婦関係とちがっていた。ヘルンにとっての夫人は、この世にただ一人の愛人であり、永久に『可愛い小さいママさま』であったと共に、またその仕事の忠実な助手でもあり秘書でもあった。日本字の読めないヘルンは、その『怪談』や『骨董』やの題材を、主として妻の口述から得た。怪談を話す時には、いつもランプの蕊を暗くし、幽暗な怪談気分にした部屋の中で、夫人の前に端坐して耳をすました。
話が佳境に入って来ると、ヘルンは恐ろしそうに顔色を変え、『その話、怖いです、怖いです』といっておののきふるえた。夫人にとっては、それがまた何より面白いので、話がおのずから雄弁になり、子供に聞かすようにしてなだめ話した。

