ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲と妻・節子(セツ)の結婚は入籍から10年で終わった。詩人の萩原朔太郎は「小泉八雲の家庭生活 室生犀星と佐藤春夫の二詩友を偲びつつ」(昭和16年)に「ヘルンのように神経質で気むずかしい男に仕えるのは、真に貞淑な八雲夫人だからできたことだった」と書いている――。

※本稿は『ちくま日本文学036 萩原朔太郎』(筑摩書房)の一部を再編集したものです。

ラフカディオ・ハーンと妻のセツ
ラフカディオ・ハーンと妻のセツ、1892年(画像=富重利平/PD US/Wikimedia Commons

「世俗を離れたい」八雲の悲哀

(編集部註:小泉八雲)の文学は、本質的に我が『方丈記』や『徒然草』のたぐいと同じく、仏教的無常観によった『遁世者とんせいしゃの文学』であり、ヘルン自身がまた現実の『遁世者』であった。寺の住持になって世を隠遁いんとんし、読経どきょう墓掃除はかそうじに余生を送りたいといった彼の言葉は、決して一時の戯れではなく、彼の心の無限の悲哀を告白した言葉であった。

だがそうした八雲の悲しい心は、常に最も夫人の心を痛ましめた。なぜならそれは、どんな貞淑に行き届いた妻の奉仕も、決して慰めることのできないものであったからだ。しかしもし、現実に八雲が世捨人になったとしたら、おそらくその貞淑な夫人もまた、『その同じ時』比丘尼びくに(編集部註:尼僧)になったかも知れないのである。

こうした悲しい対話――これほどにも悲しい対話があるだろうか――が、いつもこの夫婦の間では、半ば詩のごとく、半ば笑談のようにして語られた。『あなたの鼻高い、あなたの眼大きい』などという時、夫人はいつも指でヘルンの顔を突ついたりして、子供を扱うようにして戯れからかった。そのたびごとに、ヘルンはまた『ごめん、ごめん』などと言って笑いふざけた。

そうした外観うわべだけを見ている人は、おそらくこうした夫婦の生活を、たわいもない子供の『ままごと』遊びのように思ったであろう。しかもその対話の中には、いつも人生の最も悲哀な言葉が含まれていた。そしてその悲哀の意味を知ってるものは、世界にただ二人の、妻と良人おっとよりなかったのである。『家のパパとママとは、だれにも解らない不思議な言葉で、だれにも解らない神秘なことを話している』と子供が無邪気に言った言葉は、実際にもっと神秘な意味をもっていたのである。

妻セツとの「特異な夫婦関係」

ヘルン夫妻の結婚は、すべての点において特異であり、世の常の凡俗な夫婦関係とちがっていた。ヘルンにとっての夫人は、この世にただ一人の愛人であり、永久に『可愛い小さいママさま』であったと共に、またその仕事の忠実な助手でもあり秘書でもあった。日本字の読めないヘルンは、その『怪談』や『骨董こっとう』やの題材を、主として妻の口述から得た。怪談を話す時には、いつもランプのしんを暗くし、幽暗ゆうあんな怪談気分にした部屋の中で、夫人の前に端坐たんざして耳をすました。

話が佳境に入って来ると、ヘルンは恐ろしそうに顔色を変え、『その話、怖いです、怖いです』といっておののきふるえた。夫人にとっては、それがまた何より面白いので、話がおのずから雄弁になり、子供に聞かすようにしてなだめ話した。