自分がしたことはやりっ放しがいい

世の中は、持ちつ持たれつのギブ・アンド・テイクです。「あれをしてもらったら、これを返す」が世の習いでしょう。日本では義理人情の付き合いが、この習わしを継続させる大きな原動力となっているのはご承知の通りです。

日本に来た外国人のビジネスパーソンが、日本人から「先日はどうもありがとうございました」と言われて戸惑うことがあるそうです。数カ月前に仕事の会議で同席したことだと気づき、日本文化に詳しい友人に尋ねました。

「日本人は数カ月も前に会議でたった一度同席したことも覚えておいて、お礼を言わないといけないのか?」

すると友人から「そうですよ。日本人は数カ月前どころか数年前のことも記憶に留めて、次に会った時は、同じ時間、同じ空間を共有できた縁に感謝するのです」と教えられ、彼はビックリ仰天したと言います。

日本のビジネス シーン
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言われてみれば、人情味厚く、義理堅いと言われる人は、そのくらいのことは当たり前のようにこなしています。

そのような人は、嫌だったことは忘れ、受けた恩は忘れず、何かの形でお礼の気持ちを表します。それが社会で生きていくための大切な潤滑油の役目をすると知っているからです。

ですが私は、自分がしたことはやりっ放しでいい、否、やりっ放しがいいという潔さを是としています。それが、仏教の説く「布施の精神」だと思っているからです。

終わったことはほとんど記憶にない

講演会の講師をして数カ月後に主催関係者に会うと、「先日はありがとうございました」と挨拶されます。私は「何でしたっけ?」と答えることがあります。しらばくれているわけではありません。終わったことはほとんど記憶にないのです。

義理人情のルールに従えば、私を講師に起用してくれたことに感謝し、それを覚えていなければいけません。

しかし私は、自分ができること、お手伝いできることをし終えれば、それで私の役目は終わりという意識がとても強いのです。

かつてお世話になった人がいて、その時はしっかりお礼を言い、品物も贈りました。しかし、その人と久しぶりにお会いした時、私は「その節は」とお礼を言いそびれてしまいました。

すると数週間後、その人が「名取さんは『その節はお世話になり、ありがとうございました』の一言も言わない」と不平を言っているという話が風の便りに聞こえてきました。

その時、私が思ったのは、「そんなに私に恩を着せたいのか、何度もお礼を言われたいのか。そんなつもりなら、世話などしてもらわなくて、けっこう毛だらけだ」でした。

こうしたことをいくつか経験したおかげで、私は気をつけるけれど、相手にはそれを期待しないことが増えました。